一方、昌幸は、家康より心情的に自分に近い非家康の(三成)側に、自分と幸村を置くという保険もかけた。幸村と吉継の娘との結婚も、幸村の単独プレーではなかったと思う。
真田家の行く末を案ずる真田信幸(大泉洋、左)と信繁(堺雅人)
真田家の行く末を案ずる真田信幸(大泉洋、左)と信繁(堺雅人)
 「これで、どっちに転んでも真田家は生き残る」

 昌幸は兄2人が「長篠の戦い」でともに戦死し、三男ながら急遽(きゅうきょ)、一族の長になった。以後、彼は「家名の継承」を自分に課した。そうである以上、きれいごとは言っていられない。

 そして、昌幸の読み通り、「関が原」が起き、東軍が勝った。昌幸と幸村は死罪ではなく流罪となったが、これは信之の岳父の尽力による。ただ、これも昌幸の「想定内」のことだった。

 昌幸と幸村の九度山(くどやま)隠棲生活は、昌幸が11年、幸村は14年に及ぶ(=この長さは想定外だったと思う)。その間、幸村の妻は常に夫のそばにいた。だが、昌幸の妻は最初から夫には同行せず、信之の傍で暮らした。そして、真田家存続の道筋を確認した後、出家した。出家先の大輪寺で夫の死の2年後にひっそりと死ぬ。

 三者三様だが、共通点は1つ。それは、「一族のため」。彼らに「戦国夫婦」の典型を見る。
 まつだいら・さだとも 1944年、東京都生まれ。早稲田大学を卒業後、69年にNHK入局。看板キャスターとして、朝と夜の「7時のテレビニュース」「その時歴史が動いた」「NHKスペシャル」などを担当。エグゼクティブアナウンサー(理事待遇)を経て、2007年に退職する。現在、京都造形芸術大学教授、東京芸術学舎教授などを務める。著書に『松平定知朗読「サライ」が選んだ名作集』(小学館)、『謀る力』(小学館新書)など。