―宿舎を借りたというのは具体的にどうやったのですか?

 藤本 バーを経営していた母親がベトナム戦争の時代に米兵に殴り殺された金城武政という人がいるのですが、今も辺野古のゲート前のテントで世話人をやっています。僕たちとは10年位付き合いがあって、とにかく辺野古に拠点がないと撮っていくのは難しいと思ったので武政に頼んで、母親が殺されたバーのワンフロアを借りて宿舎にしているんです。集落の中にある場所ですし、10分位でゲートまで歩いて行けますから、そこを拠点に撮影をずっとやってきています。
ヘリパッド反対派の車両を撤去する機動隊員ら=沖縄県東村高江
ヘリパッド反対派の車両を撤去する機動隊員ら=沖縄県東村高江
 ―藤本さんたちが最初に沖縄を撮り始めたのは2004年頃から(05年公開の「Marines Go Home」)ですが、その頃と比べると現地取材の状況がだいぶ変わったというのですね。

 藤本 テレビメディアで直接現地に取材に来るというのがどんどんなくなっているんです。

 影山 昔なら『報道ステーション』とか、筑紫哲也さんがいた頃の『NEWS23』とか、もっと沖縄に取材に来ていました。

 藤本 沖縄のことをずっとフォローし続ける専門知識のある記者もいたんです。でも、そういう記者が報道番組の現場からいなくなった。いないようにされたんですね。
 僕達がそのことを感じたのは2008年、海兵隊のブートキャンプを取材した時でした。『NEWS23』と共同取材をするという形で国防総省の許可をとって入ったのですが、それが10分の特集2回で放送された。でも、しばらくしてそれをやったディレクターから連絡が来て「もう皆さんと一緒にやることができなくなりました」と言われたんです。沖縄の問題をフォローしてきた人たちがバラバラにされて、報道ではなく情報番組みたいなところに移されるということがあった。

 当時は『報道ステーション』も沖縄のことをずっとフォローする記者が育っていたんですが、そういう人たちが報道の現場からいなくなっていったんです。昨年来、報道番組からキャスターが次々と降板し、話題になっていますが、そういう動きはもっと前からあったのです。 今でも大きな出来事、例えば9月16日の辺野古判決とか、そういうのは放送されますよ。でも沖縄の系列局が撮ったものをその日の出来事として報道するんですね。長期にわたって調査報道をするという機能がなくなっているんです。

 今でも比較的沖縄取材をやっているのはTBS『報道特集』ですが、それでも頻繁に取材に訪れるのは難しくなっていると言います。しかも、それは東京の取材陣だけでなく、RBC(琉球放送)とかQAB(琉球朝日放送)とか、沖縄のテレビも現場に来るのが減っていますね。以前はほとんど毎日、地元のテレビが来ていましたけれど、今は大きな出来事がある時しか来ない。琉球新報と沖縄タイムスという2つの地元新聞は相変わらず毎日来ていますけれど。

 影山 現場へ来た時でも、カメラマンの撮っている位置が遠くなっていますね。近づいて撮ろうという感じがない。

 藤本 日々のニュースのネタとして撮っているという感じです。たぶん東京のテレビ局で起きているようなことが沖縄のテレビ局でも起きているのだと思います。

 ―藤本さんたちはどういう体制でカメラを回しているのですか?

 藤本 僕たち2人ともカメラを回すし、2006年から一緒にやっている栗原良介カメラマンも撮影に加わっています。

 影山 最初、3人で4台のカメラと言っていたのですが、私たち3人のほかに海上保安庁に抗議するカヌーチームの一人に防水カメラをつけてもらって撮影しました。陸と海から4台のカメラを回し続けたんです。

 藤本 それと第2章からは、あと3人、20代30代の若いカメラマンが加わっています。キャンプシュワブゲート前と陸と海、県庁の知事の動きも見ていかなければならないので、とても僕たち3人では持たないとわかった。そこで、若いカメラマンでやってくれる人を増やそうということで、6人体制を作りました。僕と影山は拠点が札幌ですし、若いカメラマンも関西とかから行くことになるので、6人のスケジュールを綿密に打ち合わせて取材体制を作ったのです。