―宮城さんは現在は東京支社にいるわけですが、沖縄の地元紙として東京のメディアを見ていて、関心とか動きが鈍いと感じますか?

宮城 そこは難しいんですけどね。翁長知事の誕生以後、以前よりは取り上げられるようになったと思います。全国紙でも沖縄のことをよく知っていて、しっかり取材して書く記者はいるんです。でも、扱いが小さくなってがっかりするという声が多いですね。なぜ全国紙や中央のメディアで沖縄の報道が難しいのか、沖縄のことが伝わらないのか、検証してみる必要がある気がします。沖縄はいま刻一刻動いていて、新しい局面もどんどん出てきているんだけど、東京だと、また沖縄か、また反対しているとかいうようなことで、「ああいつものね」という感じになっているようなのですね。

 沖縄についての報道が大きくなるのは政局が絡んだりする時です。同僚の記者が言っていましたけれど、辺野古をどうするか、辺野古がどうなるかじゃなくて辺野古でどうなるか。どうなるという対象は辺野古の住民じゃなくて、政権がどうなるか、だというのです。

 だから去年の「沖縄の2紙はつぶさないかん」という百田発言の時も、全国紙の出足は最初遅かったけれど、その後、結構やりましたよね。あの時は安保法案が問題になっていた。辺野古をどうする、辺野古がどうなるではなくて、それによって政府がどうなっていくという話でしょう。やはり沖縄の問題を一面的にしか見ていないという印象は受けます。
 今年9月1日の辺野古をめぐる裁判だって、一地方の問題でなくて、地方自治の話であったり、国と地方の関係であったりというような、大きな問題だと思うのですが、中央のメディアはなかなかそうなっていないような気がします。

 沖縄と本土の温度差というのがよく指摘されますが、私が沖縄本社社会部から東京支局に来て最初に思ったのは「こんなに沖縄のことを知らないのか」ということでした。「知らない」というより「関心がない」と言うべきでしょうか。

 それまで2年間、社会部にいて、オスプレイの配備に始まり、仲井眞さんの埋め立て承認とか、そういうことばかり取材してきたので、東京に来た当初は、その違いに驚きました。「日米安保は大事だけれど、米軍基地は近くにない方がいい」「沖縄にあるんだから、沖縄にがんばってもらった方がいい」というような雰囲気を感じました。

 沖縄の人にとって身近な問題は基地問題であり、基地が集中することに絡むいろんな問題です。それが紙面において大きな分量を占めるのは、地方紙として当然ではないでしょうか。例えば福島の地方紙2紙が原発の問題をたくさん取り扱うのは当たり前で、やはり読者が一番身近に感じていること、命や暮らしの問題を報道する役割が地方紙には当然あり、紙面の価値判断も大手メディアとは違ってくると思うんです。

 沖縄の場合、過酷な沖縄戦があって、その後の人権もないような米軍支配があって、復帰してもなかなか変わらない現状があり……といったことを考えると、そういう問題のウェイトが高くなるのは必然なのかと思います。

―それが沖縄の2紙の特徴なのですね。

宮城 保守的な新聞や親米的な新聞も含めて、戦後沖縄には10紙くらい新聞ができました。アメリカの検閲があり、紙の供給も握られているわけですから、沖縄タイムスにしても、当初はなかなか今のように米軍に対して厳しい論調でなかったようです。その後、1950年代の土地闘争の頃、土地の接収方針に反対する住民の意見を前面に出すような紙面展開をするようになります。

 そういう厳しい現実の中で、ここまで論調を鍛え上げてきたのは、やはり民意に押されたのだと思います。結局10紙のうちほとんどはなくなってしまい、今この2紙が残っているわけです。もちろんそれは沖縄本島での話です。

 沖縄の復帰までの歴史というのは、自治権にしろ、人権にしろ、米軍と対峙しながら一つ一つ住民が勝ち取ってきたものです。そういう中で、沖縄タイムスも住民に背中を押されてここまで来たのだと思います。住民に支持されなかったら他の新聞と同じように消えていったはずです。