沖縄のヤンバルとよばれる亜熱帯森林に位置する高江は、160人ほどが暮らす小さな集落だ。この集落を囲むように米軍のヘリパッドを6つ作る工事が始まり、反対する住民は工事現場の入り口で、非暴力の抗議活動として、もう何年も座り込みを続けている。以下は『標的の村』パンフレットからの引用だ。

 日本にあるアメリカ軍基地・専用施設の74%が密集する沖縄。5年前、新型輸送機「オスプレイ」着陸帯建設に反対し座り込んだ東村・高江の住民を国は「通行妨害」で訴えた。反対運動を委縮させるSLAPP裁判だ。わがもの顔で飛び回る米軍のヘリ。自分たちは「標的」なのかと憤る住民たちに、かつてベトナム戦争時に造られたベトナム村の記憶がよみがえる。10万人が結集した県民大会の直後、日本政府は電話一本で県に「オスプレイ」配備を通達。そして、ついに沖縄の怒りが爆発した。

 2012年9月29日、強硬配備前夜。台風17号の暴風の中、人々はアメリカ軍普天間基地ゲート前に身を投げ出し、車を並べ、22時間にわたってこれを完全封鎖したのだ。この前代未聞の出来事の一部始終を地元テレビ局・琉球朝日放送の報道クルーたちが記録していた。真っ先に座り込んだのは、あの沖縄戦や米軍統治下の苦しみを知る老人たちだった。強制排除に乗り出した警察との激しい衝突。闘いの最中に響く、歌。駆け付けたジャーナリストさえもが排除されていく。そんな日本人同士の争いを見下ろす若い米兵たち……。

 (中略)沖縄の人々は一体誰と戦っているのか。抵抗むなしく、絶望する大人たちの傍らで11才の少女が言う。「お父さんとお母さんが頑張れなくなったら、私が引き継いでいく。私は高江をあきらめない」。奪われた土地と海と空と引き換えに、私たち日本人は何を欲しているのか?

 那覇から車で2時間半。まだ日が昇らない時間に高江に着いた。片側一車線の狭い村道は、ぎっしりと並んだ車で渋滞状態だ。

 ヘリパッド建設予定地へと続くゲート前は、多くの反対者たちで埋め尽くされている。正直なところ数十人くらいだろうと思っていたので、予想をはるかに上回る数だ。ゲートの周囲には多くの警察官や警備員たちが、じっと一点をにらみながら立ち尽くしている。傍にいた男性(職業は漁師だという)に、県外から多くの人たちが来ているとの説もあるけれど?と訊けば、しばらく周囲を見渡してから、「今日は、おじいとかおばあとか、半分以上が沖縄の人たちですね」と答える。

「もちろん、県外から来ている人もいます。でもそれ自体は、別に問題ないと僕は思っています。ただ時おり、例えば安倍首相や自民党を激しく罵倒するような人がいて、それはちょっと温度差を感じます。この運動は、民主党政権の時代から続いていますから。むしろ地元のおばあたちのように、静かで平和な生活を続けさせてください、とお願いする姿勢のほうが、僕たちの本音だし重要なのだと思っています」

 もちろん運動の目的を達成するためには、こうした牽引も必要だ。それは否定しない。でも過激な思想は移り気だ。硬直する。持続するためには、小さな声を届けることが重要だ。