驚愕するも関心は「平和に対する罪」


 8月29日の法廷に提出された証拠である「南京地方法院検察処敵人罪行調査報告」の中で出された「被殺害者確数三四万人」をめぐって裁判は展開されていく。この時期の法廷記者たちは、日本軍による「戦慄すべき」蛮行を日本の恥であるとし、その信憑性を問う論評は出されていない。

 しかし「このような惨劇が事実日本軍によって行なわれたのであろうか」という率直な疑問を発する一般国民からの声も大きくなったことを、その回想の中で残しているのである(朝日新聞社法廷記者団『東京裁判』昭和22)。

 日本のメディアにとって、南京事件は突然出された驚愕の「真実」であった。「南京大虐殺」を昭和12年当時の「日本の新聞からうかがい知ることは、不可能に近い」ことであった。法廷記者たちは何ら自らの情報をもたないままに、次々登場する証人や証言と提出される厖大(ぼうだい)な「証拠」を前に呆然としたのである。

 その内容は、新聞紙上で詳細に伝えるにはあまりにも問題があったために、裁判が他の重要案件に移ると、それに対する関心は低下し、以後「南京大虐殺」の内容に関する裁判報道はほとんど出なくなる。

 なぜなら、「東京裁判」の中心審議は戦争の謀議・遂行を問われる「平和に対する罪」が中心であったからであり、「南京大虐殺」は「通例の戦争犯罪及び人道に対する罪」に属し、BC級裁判に委ねられるべきもので、主要罪行とはならないとされたからである。

 東京裁判に関する日本の報道は、日本がおこなった戦争そのものを反映していた。現在でも大多数の日本人が先の主要戦争相手をアメリカであると認識しているように、日本人にとって、戦争の直接的体験は太平洋戦争によってもたらされ、それ以前に展開されていた日中戦争に関しては、ほとんど知識がなかったということができる。

 それが、戦後も日本人の関心の低さにつながっていく。「南京大虐殺」に関する報道は昭和21年8月30日以降ほとんどなされず、一般の国民にはその「信憑性」に対する疑惑だけが根強く残った。新聞報道はそのような日本人の心情を受けて、その扱いは極めて消極的となった。この情況は基本的に今日まで引き継がれている。

 日本が起こした戦争は、地域的に広大で、相手国も極めて多数であったため、複雑であり、裁判での罪状は多岐にわたった。その中、主要な戦争犯罪はアジア・太平洋戦争に関するものが多く、日中戦争は相対化されるという傾向にあった。

 南京事件に関しては、虐殺された中国人は20万人以上であったことが東京裁判の判決文に刻まれたが、新聞各紙の主要判決の抜粋に「南京大虐殺」を選んだものはほとんど見られず、判決に関する論評は「平和に対する罪」と今後日本が歩むべき「平和と民主」の重要性を強調するものに特化したのであった。