岩波「世界」の場合


 新井利男氏が平成10年4月、中国による、いわゆる「中国の日本人戦犯裁判」(昭和31年)で、有罪判決を受けた45人が書いたとされる供述書のコピーを発表した。

 この中から師団長など5人の将官の供述書とされるものが月刊誌「世界」5月号に掲載された。その中でNHKスペシャルにも登場した上坂勝少将の「供述書」、李徳祥氏の証言が載っている。

一、上坂供述書(関係箇所抜粋)

 ―(1)第一大隊方面 第一大隊は五月二十七日早朝定県を出発し、侵略前進中、同地東南方約二十二粁(キロ)の地点に於て八路軍と遭遇しました。大隊は直ちに主力を展開して之を包囲攻撃し、八路軍戦士に対し殲滅的打撃を与へたのみならず、多数の平和住民をも殺害いたしました。

 大隊は此の戦闘に於て赤筒及緑筒の毒瓦斯(ガス)を使用し、機関銃の掃射と相俟(あいま)って八路軍戦士のみならず、逃げ迷ふ住民をも射殺しました。又部落内を「掃蕩(そうとう)」し多数の住民が遁入(とんにゆう)せる地下壕内に毒瓦斯赤筒、緑筒を投入して窒息せしめ、或は苦痛のため飛び出す住民を射殺し刺殺し斬殺する等の残虐行為をいたしました。

 私は此の戦闘に於て第一大隊をして八路軍戦士及住民を殺害すること約八百人に上り、又多数の兵器や物資を掠奪させました。以上は第一大隊長大江少佐の報告に依るものであります。

 (2)聯隊主力方面(略)

 (3)結果 此の侵略作戦に於て聯隊が中国人民に与へた損害は殺人約一千一百名に及び家屋の破壊約十軒、焼失家屋約三軒、掠奪使用家屋約四五〇軒(約十日間)、其の他中国人民約二四〇名を框舎(きようしや)構築(八個)のため酷使しました(約十日間)―(ふりがなは筆者)

二、李徳祥氏の証言

「証言―毒ガスと三光作戦」とのタイトルで、新井氏が聞き手となって、NHKスペシャルに登場した李徳祥氏が証言している。抜粋すれば次のとおりである。

 ―四二年五月二七日の早朝五時頃、北疃村(南を南疃、北を北疃と分けているが、両方合わせて北疃村と呼ぶ)は完全包囲されました。…私たち民兵隊は急いで子ども、女性、老人たちを誘導して地道に避難させました。…地道口から毒ガスを投げ込んだんです。ガスが外に漏れないように蒲団でふさいだ入口もあります。私たち民兵は最後に地道に入ったので、入口に近い方にいました。

 毒ガスが投げ込まれた後、村人たちは泣き叫ぶ間もなくバタバタ倒れていきました。私は急に目が痛くなり涙と鼻水がしきりなしに流れ、ノドが乾き、吐き気をもよおし、息がつまり、意識が薄れてふらふらになりました。よろめきながら倒れている人たちを踏みこえて無我夢中で入口に向かっていきました。

 入口にたどり着きほっとして上を見ると、そこにはたくさんの日本兵がいました。私はとっさにこう言いました。「わたし満州行って井原先生のところで働きました。大君(タイジユン)(日本軍を中国人はこう呼んだ)、助けて下さい。いたい、いたいで、みず」。私は満州で四年間、日本人の家の家事手伝いをしていたのです。

「おっ、こいつ日本語を話す」と一人の日本兵が仲間に話しかけ、私にこう言ったんです。「小人、水が飲みたいか?」。私は当時一九歳、童顔でしたので子どもに見えたのでしょう。私はさらに腹を押さえて「いたい!」と顔をしかめると、三包の薬と水をくれました。私は急いで飲みました。すると間もなく、頭がすっきりしたんです。私が日本軍と関係ある者とみたんでしょう。私は何もされずに、その場にひき止められました。そのすぐあとで私はとても恐ろしい光景を目にしました。

 私の後から瀕死の状態で大勢の者が這い出してきましたが、日本兵は残虐非道な方法でそれら無抵抗の者を次々と殺し、犯したのです。日本兵が若い男性を樹に縛ると軍犬を放しました。犬は狂ったように男性に飛びかかり、まずノドをかみ切り、次に腹を食いちぎって内臓を引き出しました。
毎日新聞も中国側の言いなりに「日本軍の残虐行為」を報じた
毎日新聞も中国側の言いなりに「日本軍の残虐行為」を報じた
 日本兵に抵抗したやはり若い男性は、耳、鼻をそがれ、目玉をえぐられた後斬り殺されました。母親から赤ん坊を奪い取った日本兵が燃える家の中に放り投げました。…日本兵は捕まえた村人たちをその井戸の所に連れていき、銃剣で刺した後、けとばして突き落としました。井戸は死体でいっぱいでした。

 村を占領した日本軍は、二八日の夕方引き上げるまでの二日間、大勢の女性を強姦し、ある者はその後殺しました。…この侵略によって北疃、南疃あわせて一三〇〇人ほどの人が殺されました―