朝日新聞の場合


一、李徳祥氏の証言

 朝日新聞(平成10年5月10日付)は、「生存者が初来日集会で惨劇証言」とのタイトルで「中国・河北省での旧日本軍による毒ガス攻撃で住民多数が虐殺された事件の生き残りの一人、李徳祥さん(75)が初来日し、9日、東京の集会で惨劇のもようを証言した」と記述、以下「世界」において新井氏に述べた内容とほぼ同じ証言を掲載している。

二、李慶祥氏の証言

 同8月13日付朝日新聞夕刊は、李氏の発言の概要を「一九四二年五月二十七日、抗日運動の拠点だった村が、二日間にわたって日本軍に襲われた。中国側の調査では約千四百人が殺された。地下道に逃げた人も投げ込まれた毒ガス弾にやられた。慶祥さんも兄弟姉妹四人を亡くし、家を焼かれた」と述べ、さらに、証言として「事件の後しばらくは、子を探す親、親を探す子たちの泣き声が響いた。村は死んだ。人類史上でも珍しい事件だ。今の日本人には理解出来ないかも知れないが、鉄のような(確かな)事実なのです」と記述している。

歩兵第百六十三連隊の行動

 冒頭で述べたように、歩兵第百六十三連隊の行動に関する資料には、公刊戦史たる『戦史叢書・北支の治安戦(2)』(朝雲新聞社、昭和46)、歩兵第百六十三聯隊史編集委員会が編集した『歩兵第百六十三聯隊史』(歩兵第百六十三聯隊史刊行委員会、昭和63)がある。

一、北支の治安戦(2)

『戦史叢書・北支の治安戦(2)』では、昭和17年5月27日の歩兵第百六十三連隊・第一大隊(大隊長・大江芳若少佐)の行動を以下のように記述している。

 ―担任地域南部の沙河(さか)流域は従来から治安が悪く、民衆は日本軍に親しまず、大隊は再三討伐を実施したが、敵と交戦することができなかった。五月二十七日、召村南東方北担村付近に中共軍一コ営(筆者注・営は日本軍の大隊に相当)が坑道作業中との情報を得た。

 大隊はその夜、各警備隊駐屯地から企図を秘匿して行動を起こし、路外機動により、払暁(ふつぎよう)までに北担村を完全包囲した。夜明けと共に戦闘が始まり、敵は猛射を加えてきたが、逐次包囲圈を圧縮して部落に突入したところ、今まで戦闘していた敵兵は忽然(こつぜん)と姿を消してしまった。

 時折屋根の上から手榴弾の投擲(とうてき)を受け、また数カ所で地雷の爆発があった。そこで直ちに部落外囲の坑道および部落内の坑道口を捜索し、隣村に通ずる坑道は遮断した。部落内の坑道、地下室には敵兵が充満しており、頑強に抵抗するので手間取ったが、これをことごとく殲滅し多数の鹵獲品(ろかくひん)を得た。

 わが方も将校以下戦死三、戦傷五の損害を受けた。

 爾来(じらい)、この地区の治安は急速に良好となり、隣接地区にも好影響を及ぼした。

 成功の原因は、日本軍の精強、軍紀の厳正が民衆に理解され、適時適切な情報が民衆から得られたこと、中共側の坑道戦法をあらかじめ研究し、敵の潜伏と同時に不意急襲し坑道囗を押さえたことである。

二、聯隊史

第一大隊定県南方北担村での殲滅戦

 ―第一大隊長 大江芳若少佐

五月二十七日、第一大隊の殲滅戦

…従来中共軍は一応応戦するが、相手が強いと見れば遁走するのが常套戦法であるが、今度は違う。執拗に抵抗し一歩も譲らず、土壁に接近すると、銃眼と屋上陣地を巧に利用し正確な狙撃に徹し、手榴弾を投擲して一切近接を許さず、天晴(あつぱれ)、精兵振(ぶ)りを発揮した。兵力も一コ営如きではなく、相当な兵力と察せられた。

 十六時頃に至るも、戦闘は進展しないまま時間は経過した。

 大江大隊長は突撃を決意し、各隊は逐次包囲網を圧縮接敵(せつてき)に勉めた。大隊長は敢然と突撃を下命した。頑強に抵抗を続けた敵も遂に抵抗を断念し、我が突撃を許すに至った。

 突入して見ると、今が今まで眼前の銃眼、屋上・土壁陣地より狙撃、手榴弾に依る抵抗を強行した敵は忽然(こつぜん)と消え、家屋掃蕩をはじめ扉を開けば仕掛地雷が爆発するなど実に危険な状態であったが、敵影なし。

 兼ねてより北担村には地下坑道あり、隣村に通じているとの情報を得ていた。

 大隊長は各隊長に命じ、隣村に通ずる坑道の探索遮断、出入口の発見を急がせた。数力所の出入口を発見し、通訳を通じて降伏を勧告したが、応じない、日没も間近い止むを得ず発煙筒の投入を下命した。
抑留された元日本兵の「供述書」を新井利夫氏らが集めた単行本。中共による過酷な洗脳には触れていない
抑留された元日本兵の
「供述書」を新井利夫氏
らが集めた単行本。中共
による過酷な洗脳には触
れていない

 敵は苦しまぎれに一人又一人、穴の中から這い上り次々と先を競って出て来た。

 便衣に着替えて「我的老百姓」と言う者もいた、本当の住民もいたであろう。

 併(しか)し敵の幹部は坑道内に於て手榴弾で自爆し降伏する者はなかった。   

 坑道内の敵引出(ひきだし)をする間に日が暮れた。部落掃蕩も中途で中止し、大隊長は北担村に宿営を決め、敵の夜襲を予測して至厳な警戒態勢のもとに一夜を明かしたが、何事もなく朝を迎え、部落内の掃蕩を再開した―