NHK、岩波、朝日報道の問題点


一、上坂供述

 北疃村に対する毒ガス攻撃は、上坂勝少将(昭和17年当時歩兵第百六十三連隊長)の平成8年のNHKスペシャルにおける供述、「世界」10年5月号の供述書が根拠となっている。

 新井氏が10年4月発表した供述書のコピーについては、月刊「正論」同6月号で田辺敏雄氏が「朝日・岩波が報じる『中国戦犯供述書』の信用度」とのタイトルで、信頼性への疑問など、詳述されている。

 朝日新聞(同4月5日付)によれば、45人中、生存を確認できたのはわずかに4人である。

 特に、供述書の骨幹をなす「世界」同5月号に掲載された将官5人全員は、すでに40―15年前(一人は中国に拘禁中)に世を去っている。本人の手によるものであるか否かの確証がなく、今となれば確証を得る手段さえない。真実か否かを確認する手段がなくなった現時点に尤(もつと)もらしく真実として「公表」する行為は、自ら贋作(がんさく)と白状しているようなものである。

 百歩譲って、仮に本人の直筆であったにしても、長期にわたる抑留、拘禁、連日連夜、「思想改造教育」と称する想像に絶する地獄の責め苦の下、何十回、何百回もの書き直しを命じられ、精神に異常を来し書かされたものである。証拠とすることはできない。

 上坂少将は供述書で、北疃村に対する攻撃のための前進を「侵略前進」、本論で紹介した以外の箇所で捕虜となった敵の将軍の逃亡を「逃走された」、八路軍の攻撃を「反攻されて来た八路軍」、自分の出した命令を「悪辣な命令」などと表現している。極めて不自然である。

二、李徳祥証言

 李氏の証言は矛盾点が少なくない。例えば、

 (一)民兵だった李氏は、地道に最後に入ったと言いながら、毒ガスが投げ込まれた後、よろめきながら倒れている人たちを踏みこえて無我夢中で入口に向かった、と述べている。最後に入ったのであれば、倒れている人たちを踏みこえる必要はない。また、入口に近い人は先に入口に殺到するであろう。

 (二)日本兵が赤筒、緑筒を使用したとすれば、防毒マスクをしていた筈(はず)だが、その描写がないのは不自然である。このようなことから、使用されたガスは発煙剤だったのであろう。また、子供に水を与えた優しい日本兵が、母親から赤ん坊を奪い取り燃える家の中に放り投げる筈がない。

 (三)李氏が、日本語ができるだけの理由で日本軍関係者と見られ、何もされずに、虐殺、強姦場面を二日間にわたり見学できるとは思えない。むしろ日本語ができればゲリラと怪しまれるのではないか。

 『聯隊史』は「坑道内の敵引出をする間に日が暮れた。部落掃蕩も中途で中止し、大隊長は北担村に宿営を決め、敵の夜襲を予測して至厳な警戒態勢のもとに一夜を明かした…」と述べている。『聯隊史』の記述こそ、命のやり取りをする戦場の実態である。敵の夜襲が予測される中、強姦などできるが筈ない。なお、虐殺、強姦などについて李氏は、平成8年のNHKスペシャルでは一言も触れていない。

三、化学兵器とは

 化学兵器とは、岩波書店発行の 『広辞苑』第一版では「毒ガス・発煙剤・焼夷剤及びこれらを使用する兵器の総称」となっている。

 一方、毒ガスは、びらん剤、神経剤、窒息剤、血液剤などの有毒化学剤とくしゃみ剤、催涙剤、錯乱剤などの無傷害化学剤に分類される。
防衛庁防衛研修所戦史室(現防衛省防衛研究所戦史研究センター)の『戦史叢書』は当時の記録を丹念に集めて事実に基づき、史料価値が高い
防衛庁防衛研修所戦史室
(現防衛省防衛研究所戦史
研究センター)の『戦史叢書』
は当時の記録を丹念に集め
て事実に基づき、史料価値が
高い

 赤筒とはくしゃみ性のガス、緑筒とは催涙性のガスで、ともに、生理的効果によって、一時的に無力化するために使用するものである。

 大隊が使用したガスは『聯隊史』では発煙剤、毎日新聞が記述する大隊長の記録では毒ガスと述べている。『聯隊史』は作戦に参加した戦友の殆ど全員が読む故、虚偽の記述をしたとは考え難い。大隊長が記録で毒ガスと表現したのは、発煙剤も化学兵器の範疇(はんちゆう)に入り、また、くしゃみガスなども煙を出すが故に、化学の専門家ではない歩兵が、発煙剤のことを広い意味で、毒ガスと呼んだであろうことは十分考えられる。素人が虫垂炎のことを盲腸炎と称するに似ているのではなかろうか。

 NHKスペシャルでは、「赤筒とは吐き気や呼吸困難を引き起こすガスを発生させる化学兵器です。毒性は低いものの密閉された状態で使うと死に至ることもあります」(傍点筆者)と述べている。

 密閉した場所で使用すれば、車の排ガス、炭火でも中毒死する。

 平成9年に発効した「化学兵器禁止条約」においてさえ条約が禁じないくしゃみガスや催涙ガスは「暴動鎮圧剤」と位置付け、「戦闘の方法として使用しないことを約束する」としているが、同条約が定義する「化学兵器」ではない。

 大江少佐が、地下道に逃げ込んだ兵隊(ゲリラを含む)に降伏勧告後、追い出すために、発煙剤ではなく、仮に赤筒、緑筒を使用したとしても当時違法ではなかった。

四、殲滅と虐殺

 日本軍の北疃村攻撃を、『戦史叢書』も『聯隊史』も「殲滅」と呼んでいる。軍事用語における殲滅は、いわゆる皆殺しではなく、大勝を意味する。戦史上有名なタンネンベルヒの殲滅戦(第一次世界大戦初頭の1914年、タンネンベルヒで独軍が露軍に大勝した戦い)でもロシア軍二十数万中、死傷は約5万、捕虜は9万余で、死傷者は4分の1である。

 読者の中には、殲滅を皆殺し、虐殺と考えている人がおれば、誤解を解いておかねばならない。

 大江大隊長は、坑道の出入口を発見し、通訳を通じて降伏を勧告したが、応じないから、止むを得ず発煙筒の投入を下命。投入後壕から出たものは捕虜にした。壕から出ず自爆、或いは窒息しても、虐殺ではない。また『戦史叢書』や『聯隊史』で、攻撃成功の原因を、日本軍の精強、軍規の厳正が民衆に理解され、適時適切な情報が民衆から得られたことにあると述べている。中国側の記録、中国におけるいわゆる「軍事裁判」での上坂少将の「供述書」、中国人の発言などのような民衆に対する虐殺を行っている筈がない。

五、犠牲者、焼失家屋

 犠牲者数は、毎日新聞(平成8年)の中国側の記録で約千人、10年の「世界」で李氏が新井氏に対し1300人ほど、10年8月13日付朝日新聞夕刊では「中国側の調査では約千四百人」と述べ、いわゆる「南京事件」同様、年月の経過とともに増大している。この分では21世紀中に万を超えるであろう。

 毎日新聞は、中国側の記録による犠牲者は村民約千人、八路軍兵士数十人と述べている。しかし、『戦史叢書』では「中共軍一コ営」、『聯隊史』では「一コ営如きではなく、相当な兵力」と述べている。一コ営は3~500人だから、八路軍の兵力は一千人近かったと思われる。中国側記録で兵士数十人、村民約千人は、『聯隊史』に、便衣に着替えて「我的老百姓」と言う者がいた、とあるように、兵士のかなりの者がシナ兵の常套手段である便衣に着替えたものと思われる。

 また、李化民氏は、村の家はすべて焼かれたと述べているが、上坂供述書なるものでさえ焼失家屋約3軒となっている。『戦史叢書』『聯隊史』にも家屋焼失の記述はない。

 本作戦の遂行には、家屋の焼却は不要、逆に民衆の反発を招く、無用な焼却をする筈がない。