戦争目的に照らして大東亜戦争を考察する

 
 日下 戦後の日本人の多くは、戦争を「道徳」や「個人の良心」の範囲で考えています。戦争について論じること自体をタブー視し、ただただ平和を希求し、呪文か念仏のように「戦争反対」と唱えていれば、戦争は起きないと思い込んでいる。GHQの思想改造の影響といえますが、これを目の当たりにしたのが先ごろの安保関連法制をめぐる“騒動”で、戦争の歴史を考えるときに「史実」を離れ、たんなる“道徳の教科書”になってしまっていること。安保法制を「戦争法案」と言い換え、中身の吟味もせずに非難するほうがかえって危険だと感じられないこと等々、今日の日本人には戦争について考える予備知識がまったくない。

国会議事堂前で、安保法案反対を訴える人々
=2015年7月15日
 戦争と軍事を知らずして外交は語れず、平和がいかなる状態を指すのかもわからない。戦争の歴史を知らずして、未来の日本の設計はできない。大東亜戦争の教訓はそこに繋がらなければならないのですが、先に述べたように「すでに定着した歴史の解釈」などというものに拠っていては、戦勝国に隷従し続ける「反省」と「謝罪」、自らの独立意志の放棄につながる「不戦の決意」がその疑いようのない結論となってしまう。そうではなくて、次なる戦いに勝つための教訓を私たちは導き出す必要があります。

 実際に銃砲弾が飛び交う戦争であれ、相手の心理や感情に働きかける情報戦、宣伝戦であれ、戦争は設計して行なうものです。戦争は外交の失敗から起きるとは一概にいえません。クラウゼウィッツは『戦争論』で「戦争は他の手段をもってする政治の継続にほかならない」と述べましたが、戦争の開始から終わりまで政治はずっと機能していなければならない。戦争目的を決定するのは政治であり、政治の都合によって戦争は中止になったり、続いたりする。

 上島 「戦争は他の手段をもってする政治の継続」と考えるかぎり、戦いのための戦いはあってはならない。戦争はただの大量殺戮、大量破壊であってはならず、政治目的を達成するための手段である。したがって戦争の勝敗は武力の優劣だけでは決まらないこともある。軍事的に負けても、政治的な目的を達すれば戦争に勝ったことになる。こうした視点から大東亜戦争を見ると、勝つ見込みのない無謀で愚かな戦争だったと結論づけるのは単純にすぎ、戦争目的に照らしての考察がなければならない。

 日下 大東亜戦争で最大の問題は、政治が機能しなかったことです。詳しくは単行本全編を読んでいただきたいが、開戦の詔書に記された戦争目的は「自存自衛」でした。当時の日本は、繊維製品を輸出して稼いだお金で原材料と機械を買っていた。ところが、関税障壁でアメリカ、カナダ、それから南米までが日本製品に高い関税をかけた。

 政治的、軍事的に支配しなければ商品の輸出もできないと日本人に思わせたのは、アメリカの保護貿易が原因で、自由貿易をアメリカが維持するといえば、日本は戦う必要がなかった。

 上島 日本に開戦を決意させたのは、1941(昭和16)年11月に米国務長官コーデル・ハルが突き付けた「ハル・ノート」にあるというのが一般的な受け止め方です。

 日下 あまりに挑発的、非妥協的な内容から、大本営政府連絡会議で「日本が臥薪嘗胆で行く場合、米国が攻撃してくるとは思われぬ」と訴えた東郷茂徳外相ですら「米国政府に対日交渉への熱意なし。唯日本に全面的屈服を強要するもので、(これを受け入れることは)日本の自殺に等しい」と憤慨した。日本を戦争に引きずり込みたいと企図するアメリカにまんまと嵌められたという話にもなってくるわけです。

 上島 同年8月1日、アメリカが主導してイギリス、オランダも加わっての対日全面禁輸措置がありました。石油をはじめ資源が入ってこない。このままではジリ貧で、戦うならいましかないと日本は追い詰められた精神状態で、とうとう堪忍袋の緒を切った。

 日下 たしかに「満洲国と汪兆銘政権の否認」「支那や仏印からの即時全面的無条件撤兵」「日独伊三国同盟の廃棄」などを要求したハル・ノートについては、東京裁判でパール判事が「こんなものを突き付けられたらモナコやルクセンブルクといえども銃を持って立ち上がるだろう」といったあるアメリカ人の言葉を引いて、その非を指摘したほど特異な外交文書でしたが、もはや妥協の余地なしと開戦に踏み切ったのは、心情的には理解しても反撃の手段としては単細胞だったと思います。

 日本には、その時点でもいくつもの選択肢がありました。追い詰められた戦争というのは気分の問題であって、冷静に現状と彼我の国力を考えたうえで、軍事力行使の目的とその設計さえすれば、米英相手ではなくオランダ相手の限定戦争で「自存自衛」は可能だった。それがなぜできなかったのかという反省は不可欠です。

 上島 政治と軍事の問題ですね。戦前は軍部が暴走したというのは簡単ですが、ではその暴走の中身は何か。日清、日露戦争を経て、当時、世界の大国になった日本がその国家運営を誤ったとするならば、それは政府や軍において具体的にどんな誤りであったか。明治国家の対外戦争は戦う相手を選べませんでした。日露戦争は大東亜戦争よりもっと無謀だったと思いますが、日本人が「奴隷の平和」を拒否するかぎり避けえぬ戦争でした。しかし大東亜戦争は、対日禁輸措置で経済的に締め上げられていても、米英相手の一大戦争を起こさずに、限定的な戦争で生存を確保することは、不可能ではなかった。

 開戦の詔書に明らかなように、大東亜共栄圏の確立は当初の戦争目的とは直接結び付いていません。第一義は日本の「自存自衛」で、そこに公明正大な理念を掲げようと努めたのは重光葵でした。彼は「日本の戦争目的は、東亜の解放、アジアの復興であって、東亜民族が植民地的地位を脱して、各国平等の地位に立つことが、世界平和の基礎であり、その実現がすなわち戦争目的であり、この目的を達成することをもって日本は完全に満足する」と訴えた。これは大西洋憲章に対抗する意味もありました。

 重光はもともと「日本自身の破綻になることがあまりに明瞭である戦争への突入を、最後の場面においても阻止する努力をしなければならぬ」と考え行動した外交官ですが、戦うことに決した以上、今度は「堂々たる主張がなければならぬ」と覚悟を固め、さらには、この戦いに敗れた場合、日本の戦争には「アジアの解放と独立」という歴史的意味のあったことを戦勝国の掲げる正義に対置する必要があると考えた。これはこれでギリギリ1つの戦争設計で、日本の名誉のための布石だったと思います。