組織の利益あって日本国家なし

 
 日下 日本の戦争目的を第1に「自存自衛」、次いで「東亜の解放」の2つと考えると、軍人・民間人合わせて約310万の死にどんな意味があるか。たしかに大東亜戦争には数々の過誤や失敗がありましたが、1943(昭和18)年11月に開かれた大東亜会議で発せられた大東亜共同宣言に謳われた「共存共栄」「互助敦睦」「伝統尊重」「経済発展」「人種差別の撤廃」の精神はいまや世界に伝播し、現実の国際社会に公然と人種差別のできない時代を到来させた。これは物理的な勝敗を超えた日本の勝利です。戦勝国が何といおうとも、人種差別が公然とできなくなった新しい世界をもたらしたのは、その引き金を引いたのは、この世界にあって日本という国です。

 もう少し厳密に、国内における反省を込めていえば、その勝利は、政治の機能不全、陸海軍の「軍益」あって国家なしといった当時の状況のなかで、「必死」の特攻作戦にまで殉じて究極の奮闘をした日本の庶民の力だと私は思っています。

 上島 大雑把な物言いになってしまいますが、指導者の不作為や過怠をそれぞれ現場の庶民が救ったと私も思います。本来、国家運営に献身することが求められた政官軍の秀才エリートが、どれほど私欲や保身に走ったか。卑怯な振る舞いをしたか。大東亜戦争について、日本の庶民の命と力を活かし切れなかった指導者の過誤は不問にしてはならず、将軍・参謀たちの責任論は、同胞相食むなどということではなく、けじめをつけなければならないと思います。

 日下 昭和の陸海軍や官僚機構の問題は、今日の組織論にも通じます。国家として制度が整うにつれ学歴による選別、エリート養成コースが敷かれ、それ以外の脇道からは入れず登用されない硬直性と横並び意識が確立されていった。当然ながらエリートにも能力差はある。しかし「もう上り詰めたのだから、そこでさらに競争はしたくない」という馴れ合い、庇い合いが常態化すると、組織はそれ自体の温存を第1に考え、何のための組織かという目的が形骸化し、まさに「組織(軍や官僚機構)の利益あって日本国家なし」になってしまう。

 また、そうした組織における秀才は、一定の手順にそった課題はソツなくこなしますが、未知の事態には対応できない。わが国の歴史でその未知は何かといえば日露戦争後にわが国が到達した国力に見合う優位戦思考であり、劣位から優位になったときにどうすべきかの学習と経験が不足した。日本が不幸だったのは、学歴がなくとも、また学習しなくとも対応できる直感力や「暗黙知」をもった人間(庶民)を見出し、登用することに意を注がなかったことです。