長崎でご一緒したのは、ワールドカップの快進撃で日本のラグビー界が活気付き、まだその余韻が残る時期だった。しかし、シンポジウムのステージに上がる前、控室で伺った平尾さんの話からは、決して楽観できない現状と未来への思いが感じられた。

 体調の不安から、自らが先頭に立てない歯がゆさもあったのかもしれない。

 2019年のワールドカップを迎える東京が、まだ明確な方向性を見いだせず、世界を相手に再びたくましく戦える確信はないようだった。
震災チャリティーマッチ 新日鐵釜石OB対神戸製鋼OB で、試合前に握手する平尾誠二(右) と松尾雄治(左)= 東京・秩父宮ラグビー場 (中井誠撮影)
震災チャリティーマッチ 新日鐵釜石OB対神戸製鋼OB で、試合前に握手する平尾氏(右) と松尾雄治氏= 東京・秩父宮ラグビー場 (中井誠撮影) 
 平尾誠二には、いくつもビジョンがあっただろう。現役を退いた後、神戸製鋼のチーム運営だけでなく、さまざまな活動を展開し、書籍を通じた発信や啓蒙にも力を注いでいた。彼の発想やビジョンには、知的文化人の多くが共鳴し、そうした人々に深く愛された。だが、ラグビー界の主流からいつしか一歩引いていた感もあり、スポーツ界の主流もまた、彼を積極的に改革や創造の先頭に立たせようとする空気がありそうで広がらなかった。それは、平尾誠二特有のややシャイな振る舞いだったのか、どこかに平尾誠二が見抜く本質に自分の立場を危ぶんだ人たちの怖れがあったためか。いまとなっては、もったいない、と悔やまれてならない。

 神様がいるならば、聞いてみたい。なぜ平尾誠二という、日本にとってかけがえのない存在が、これほど早く失われたのか?  2020年東京五輪の準備をめぐって、喧々囂々の議論が起こり、方向性が見えない。平尾さんの考えを聞く機会はメディアではあまりなかった。2019年のラグビーワールドカップを3年後に控えたいま、なぜ日本のラグビー界の象徴とも言える人がいなくなるのか。これからは、平尾誠二ならどう考えるか、どう行動するかを考えることが、ひとつの手がかりになるのかもしれない。

 心よりご冥福をお祈りします。ありがとうございました。