裁判


 少年が強姦事件を起こした場合などは、関係者一同が本人を反省させようとすることが一般的ですが、大人の裁判では違います。検察側と弁護側が戦います。
 被害者とされる女性が、いかに普段から性的に奔放だったかとか、事件発生時も男性を誘うかのような行為をとったかなどが指摘されることもよくあるでしょう。

 これが例えば路上強盗事件なら、いかに被害者が強欲だったかとか、当日どれほど高価なスーツを着て偉そうに歩いていたかなどは、問われないでしょう。

 たしかにケースとしては、女性が同意していたのに、後から男性を訴えることもあるでしょう。これで逮捕有罪となれば、冤罪です。しかし本当に強姦なのに、女性側の責任が問われるような裁判のスタイルは、加害者男性の反省には悪影響でしょう。

示談


 強姦罪は、親告罪です。強姦致傷や集団強姦は、違います。強姦罪が親告罪なのは、裁判を始めることが被害者にとって不利益になることがあるとの配慮でしょう。

 本当は100パーセントの被害者でも、性犯罪被害者は不当に責められ、傷つくことが多くあります。弁護士の中には、その点を強調し、示談を迫る人もいると言われます。

 強姦罪で一度は逮捕されても、示談が成立して釈放となれば、反省をしない加害者もいることでしょう。

 以前、ある教育系の大学で、6人の男子学生が19歳の女性学生への集団準強姦罪で逮捕される事件がありました。サークルの宴会で、酔った女性を別部屋に連れ込み、6人の男性が次々と襲ったとされた事件です。集団準強姦罪も集団強姦罪も刑の重さは同じです。大学は、彼らを停学処分にしましたが、被害者女性は後に示談に応じました。

 この事件を、検察は不起訴としました。不起訴にも種類がありますが、このケースでは、「起訴猶予」でした。起訴猶予とは、被疑事実は明白でも、様々な状況から訴追を必要としない(公判が維持できない、有罪にできる見込みがない等)と判断されたものです。

 学生側は、起訴猶予処分を受けて、停学処分を下した大学の処分が不当として民事裁判を起こします。一審は、被害者女性が証言台に立つこともなく、学生側勝訴でした。学生は、疑いが晴れたと喜びの涙を流し、弁護士は「ある意味、刑事事件での無罪にあたる」とコメントしています。

 しかし、その後の二審の高裁判決では、大学の行なった処分は教員養成大学の社会的責任として合理的な措置であるとして、地裁の判断を大きく見直す判決が下されています。

 この学生らによる事件も、今回の「高畑事件」も、示談や不起訴が絡む事件です。どちらも、様々な推測はできるものの、事実は闇の中です。多くの場合当事者しかいない性犯罪、強姦事件は、事実の解明が困難です。被害者女性が不利益を被りかねない現状では、捜査や裁判への協力が得られなくても、女性を責められません。

 示談成立、不起訴でも、深く反省できる人はいるでしょうが、示談と不起訴で、自分はやはり悪くなかったと感じる人もいることでしょう。

 「疑わしきは罰せず」ですし、たとえ事実があっても、家族や弁護士が、当人を守るのは当然です。示談を求め、不起訴や無罪判決を願うのは、当然です。しかし、本当に当人を守るとは、事実があるとするなら反省させ、更生させることではないでしょうか。