自叙伝では一言も触れられていないが、朴槿令氏の嘆願書は「私の姉(朴槿恵)には何の罪もありません。崔太敏に徹底的に騙されていたという罪だけです。騙されている姉が可哀そうで仕方ありません」(李相哲著『朴槿恵の挑戦-ムクゲの花が咲くとき』中央公論新社より)という文章で始まるものだった。
韓国の朴槿恵大統領と友人の崔順実氏のお面をかぶって抗議する市民=10月27日、ソウル(ロイター)
韓国の朴槿恵大統領と友人の崔順実氏のお面をかぶって抗議する市民=10月27日、ソウル(ロイター)
 1980年、朴槿恵氏は大邱にあった私立総合大学・嶺南大学校の理事長にも就任しているが、ここにも崔太敏氏の近親者が食い込み、不正入学や奨学金横領などの不正を働いたことが明らかになっている。

 崔太敏氏は1994年に死亡したが、崔順実氏はその後も20年以上にわたって朴槿恵氏との関係を保ち、朴氏が政界入りした後にはさらに大きな影響力を行使するようになった。ちなみに崔順実氏の前夫・鄭允会氏は崔太敏氏の元秘書であり、朴槿恵氏が国会議員であった期間には、朴氏の秘書室長を7年も務めた。このような癒着がすでに報じられているような数々の不正を生んだことは想像に難くない。

 では、なぜ、崔父娘がここまで朴槿恵氏に食い込むことができたのだろうか。まず、朴槿恵氏が20代の若さで相次いで両親を失うという悲劇に見舞われたことが挙げられるだろう。朴槿恵氏は「無所不為(できないことは何もない)」とまで呼ばれた強権的な大統領の娘である。傷心の朴氏につけ入って何らかの利益をむさぼろうとする輩が現れたとしても、特段、不自然なことではない。

 また、朴槿恵氏の自叙伝を読む限り、韓国で広範囲に信仰されているキリスト教や仏教など、既存の宗教を信仰していた形跡がない。崔太敏氏は母親・陸英修女史の「霊言」「霊夢」などを口実に朴槿恵氏に接近したが、特別な信仰のない朴槿恵氏にとっては受け入れやすいものだっただろう。また、朴槿恵氏は、とかく「親日派」「独裁者」などと批判を受けてきた父親の業績が正当に評価されることを望んでおり、こうしたことも父親の時代から関係を保ってきた崔父娘との関係を断ち切りがたいものにしたはずである。
1970年代の朴槿恵氏(大韓民国大統領秘書室編『セマウル』(1975年)より)
1970年代の朴槿恵氏(大韓民国大統領秘書室編『セマウル』(1975年)より)
 「選挙の女王」などと呼ばれ、政治的な機微に優れているとされる朴氏であるが、政界入りする前までは、実質的な役職に就いたことがない。朴槿恵氏が政界入りする前に就いた代表的な役職は「陸英財団」「嶺南大学校理事長」であるが、いずれも名誉職的なもの。この二つの組織の内部で崔父娘とその近親者が不正をほしいままにしていたわけだから、朴氏には実務をつかさどる能力が欠けていたと言わざるを得ない。こうした実務能力の欠如が、甘言を弄する周辺人物の助言に依存する結果となったと思われる。それが数々の不正を生み、政権末期になってそれが一気に噴出し、ついには政権を揺るがす事態になった、というのが今回の事件の内幕であろう。

 大統領夫妻の暗殺という悲劇と、親子2代にわたる腐れ縁が生んだ、更なる悲劇と言わざるを得ない。