天皇はロボットであれと言うのか? 戦後憲法学の「猛毒」は今も健在だ

『倉山満』

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倉山満(憲政史家)



 国体は護持された。

 我々日本国民は、今こそ高らかに勝利を宣言するべきだ。


 昭和20年8月15日。

 この日は終戦なのではない。だから、占領期は戦後ではない。占領期は戦争継続中であり、占領行為とは戦争行為にほかならない。

 占領軍は、徹底的に日本弱体化政策を行った。その中心が、憲法である。

 日本国憲法の原本(国立公文書館蔵)
 そもそも、憲法とは何か。その国の歴史文化伝統そのもの、すなわち国体である。憲法典とは、国家経営のための確認として国体を成文化した法典にほかならない。

 大日本帝国憲法は、占領軍により徹底的に破壊され、悪魔化され、打ち捨てられた。何のためか。それだけでなく、それまでの日本の伝統や文化を徹底的に貶め、歴史の断絶を図った。

 言うまでもなく、我が国の国体を破壊するためである。

 では、我が国の国体とは何か。

 皇室と国民の絆である。

 戦前憲法学の泰斗である佐々木惣一先生から語り継がれている教えがある。
 
「皇室と国民の絆が切れた時、国民が皇室を見捨てた時、日本は日本ではなくなる」

 あの忌まわしき敗戦の日から70年間、日本を愛する人々は負けっぱなしだった。あの日から今に至るまで、我が国は敗戦体制を抜け出せていない。日本を滅ぼしたい勢力、皇室を亡きものにしたい勢力にやられっぱなしだった。

 しかし、皇室と日本国民の絆は切られていない。


象徴としてのお務めについてのお気持ちを表明される天皇陛下(宮内庁提供)
 今年8月8日、「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」が放送された。その要旨は、「国民との絆を守るために自分は身を削ってきた。しかし、個人の努力だけで今後も永続できるかどうかはわからない。だから皆で考え、話し合ってほしい」だった。

 畏れ多いことである。

 8月8日の玉音放送を受け、各種調査で国民の90%以上が陛下を支持している。低めの数字で84%、高めだと94%である。陛下のお言葉の中身をわかっているとは思えないが、「それでも、天皇陛下が仰ることならば」との想いであることは間違いない。反対者は、いずれの調査でも数%の、超少数派にすぎない。

 もちろん、世論調査がすべてではない。事の本質をわかっていない国民を欺き、毒を混ぜようとする輩もいるだろう。政治家も絶望的なまでに頼りない。

 しかし、あえて敵の立場で考えてみよう。70年間、ありとあらゆる手練手管を尽くし、一方的に攻撃を加え続けたのである。その結果が、これである。一体、70年間も何をしてきたのか。

 仮に皇室を亡きものにしようとしたら、二千六百年の歴史と一億の国民を敵に回さなければならない。
 

 敵の側に立って勝算が立たないということは、我々圧倒的に有利なのだ。

 ならば、何をすべきか。

 これが憲法を論じる際の心構えであろう。



 さて、憲法改正の核心とは何か。

 どこの国の憲法でも、最も大事なことは一条に書く。

 日本国憲法第一条
 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

 占領軍が押し付けてきた日本国憲法でも、第一章は天皇である。その第一条は象徴規定だが、この「象徴」の意味は決して軽くない。

 占領軍は、戦前の天皇を独裁者だと勘違いした。そして、イギリスのような立憲君主にさせようとした。「象徴」とは、ウェストミンスター憲章の用語である。これに困惑したのが、当時の日本政府である。そもそも帝国憲法の天皇条項は英国憲法など欧州各国の立憲君主国を参考にし、運用もそのようにしてきたからだ。
GHQ民政局の素人集団が急ごしらえで日本に押し付けた日本国憲法
 「英国のようになれ」と強制する占領軍と、「最初からそうなのですが」と反論する日本政府の、涙ぐましくも間抜けなやり取りの末に、現行憲法では「天皇は象徴」とされた。

 では、象徴とは何のことか。国家元首のことなのである。実際の運用でも、日本の国家元首は天皇である。たとえば、外国大使の信任状を渡すのは国家元首の役割だが、天皇が行っている。天皇が日本の国家元首である。これは厳然とした事実である。

 ところが、それを認めない者がいる。宮沢俊義東大法学部教授に始まる、戦後憲法学である。宮沢はあまつさえ天皇を「盲判を押すロボット」と言い切った。宮沢の影響を受けた学校教育でも、「戦前の天皇は主権者であり国家元首だったが、現行憲法では象徴にすぎなくなった」と教えている。

 「ロボット」云々は論外としても、戦前の天皇は「主権者」「独裁者」「国家元首」だったが、現行憲法で「象徴」に転落したと誤解している向きもないではない。そのような誤解に基づいて改憲を論じるなら、宮沢の嘘を土台にしている時点で戦後憲法学の枠を一歩も出ていないことになる。

 一つ一つ誤りを指摘すると、まず帝国憲法に「主権」などという言葉は出てこない。次に、明治、大正、昭和の三代の天皇のどのような振る舞いが独裁者なのか。1930年代以降、東欧諸国の多くで国王独裁が見られたが、同時代の昭和天皇が同じようなことをしたのか。あるいは、現代のアラブ諸国の専制君主とどこが同じなのか。

 そして、現行憲法の「象徴」とは、国家元首の意味である。母法にあたるウェストミンスター憲章のイギリスが象徴である国王あるいは女王を国家元首の意味で使っているのに、なぜ日本では用語の意味が変改されるのか。

 おそらく誤解の原因は、君主のあり方には、独裁者か傀儡(ロボット)の二種類しかないと思いこんでいることだろう。

 英国の偉大な憲政史家であるW・バジョットは「英国民は、誰も君主が傀儡であることを望んでいない」と強調している。バジョットによれば、君主とは「国家の尊厳を代表する存在」である。すなわち、国家儀礼を行う存在である。

 まさに、今の日本国憲法の天皇である。

 君主のあり方には、独裁者と傀儡の他に、三つ目の「立憲君主」があるのである。憲法を自らの意思で守る君主を立憲君主と称するのだが、君主国における国家元首が君主であるのは自明である。その地位を象徴と呼ぼうが、なんと呼ぼうが構わない。

 お気づきであろうか。現行憲法は、押し付け憲法であるが、占領軍は帝国憲法への誤解から天皇に「立憲君主たれ」と要求したが、「傀儡になれ」とまでは言っていない。むしろ、憲法制定過程を見ると、「象徴とは決して軽い意味ではない」と強調、日本側を説得する姿勢さえ見せている。

 真に天皇を貶めているのは、宮沢以下の日本人である。宮沢憲法学の猛毒は健在である。


 8月8日の玉音放送を受けて、保守と目される論者から、「天皇が政治的発言をしてはならない」との批判の声が上がった。何を超少数派が、と侮るなかれ。政府が招集した有識者会議でも、「天皇の発言が国政に影響を及ぼすことが無いように」との配慮がなされている。

 政府の法制官僚が東大憲法学なのはともかく、世に正しい言論を問うべき立場の論者までが宮沢の詐術に騙され続けているとはどういうことか。

 正しい理解には、世界中の文明国で共有されている、バジョットの立憲君主に関する見解を復習すべきであろう。
外相公邸跡に建てられた「日本国憲法草案審議の地」の記念碑=10月17日、東京都港区
 バジョット曰く、「立憲君主には三つの権利が残されている。警告する権利、激励する権利、相談を受ける権利である。賢明な君主ならば、この三つの権利を行使して、国政に影響を及ぼすだろう」と。

 立憲君主は、国政に関する権限(Power of command)を有さない。たとえば、立法権は議会に、司法権は裁判所に、というように。だが、君主は物言わぬ傀儡ではない以上、三つの権利は残される。もちろん、大臣との内奏などの限られた場で賢明な君主の発言を、政治家が無視すれば、結果は言うまでもない。ただし、君主の意見を聞くかどうかは、政治家の責任である。これを君主無答責の原則と言う。以上の前提で、立憲君主は国政に影響力(Power of influence)を行使して良いのである。

 これは日本国憲法でさえも、本当は認めている。

 日本国憲法第四条
 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

 権能(Power of command)を有さないだけで、結果として影響力(Power of influence)を行使することまでを封じていない。

 8月8日の玉音放送において、陛下は「天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います」とはじめ、「憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。国民の理解を得られることを、切に願っています」と締めくくられた。

 警告する権利と相談を受ける権利の行使に、ほかならないではないか。

 超少数派が「天皇は政治的発言をすべきではない」と批判するが、何のことだろう。

 そもそも、皇位継承が政治なのか。仮にそうだとしても、天皇はロボットであれと言うのか。一切の発言が許されないのか。

 現行憲法を押し付けた占領軍の意図を飛び越え、日本人が天皇をロボットにしている。

 これを打破することより重要な憲法論議があるだろうか。この意識改革は条文の改正以前の問題である。

 天皇はロボットではない。物言えぬ傀儡ではない。国政に関する権能は有しないが、影響力を行使して良い。ただし、聞くかどうかは政府次第、責任も政府が負う。

 宮沢憲法学から離れ、このような当たり前の文明国の常識に立脚することだろう。
 
 
 憲法を論じる際、核心は天皇である。

 そして今、絶対に負けるわけにはいかない、しかし負けるはずがない戦いの場にいるのである。

 今こそ二千六百年の歴史と一億の国民の強さを見せつける時だ。

 国体は永遠に不滅であると。


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