これまで文学者として、出家者として被害者のためにも論じ、行動してこられたことは、誰しも知るところである。「耄碌のせいだなどと私は逃げない」「みっともない舌禍事件を起こした」「お心を傷つけた方々には、心底お詫びします」などと陳謝する姿に、被害者は日弁連に利用されたばかりにと、お気の毒だとも思うのである。

 しかし、バカども発言で「今もなお死刑制度を続けている国家や、現政府に対してのものだった」が気にかかる。国家や政府は国民の総意で成り立っていることはご存知であろう。その国民の8割は死刑存置を希望しているのである。それへの御発言も頂きたいものである。また、命を奪われた被害者への声掛けは、いかになさるのかもお聞きしたいものである。「過去の私の言行を調べてくれればわかるはずである」とのことで調べさせていただいた。

 ところが「別れの辛さに馴れることは決してありません。別れは辛く苦しいものです」の言葉と「人間に与えられた恩寵に‟忘却”がある」「たとえ恋人が死んでも、七回忌を迎える頃には笑っているはず」「忘れなければ生きていけない」等の言葉とがうまくかみ合わない。出家され、徳を積まれ、尊敬される僧侶寂聴さんですら、みっともない本心が残っていたのである。「人は皆変わることが出来る」とは言えないことを94歳になって身をもって示されたのである。

 寂聴さんから教わるに「人間は本来持っている思いや思考、性格は変わり得ない」と言うことである。いわんや、凶悪な反社会性人格障害者がいかほど謝罪、贖罪、更生しようとも、我々一般市民が望むような更生は不可能なのである。