夜眠れない軍幹部


  南シナ海における軍事演習が行われていた最中の七月九日、中国軍の士気に大きく影響を与えるニュースが流れた。国営新華社通信などが、「元空軍政治委員の田修思上将が重大な規律違反の疑いで党の規律部門に拘束された」と報じたのだ。

 習指導部が発足してから、軍内で実施された反腐敗キャンペーンのなかで、軍制服組トップの党中央軍事委副主席だった徐才厚氏と郭伯雄氏に続き、田氏は三人目。香港紙によれば、田氏は七月五日早朝、妻と一緒に北京市内の自宅から連行された。別の都市に出張していた田氏の秘書も、同じ日に拘束されたという。

 田氏は一九八〇年代、連隊長として中国とベトナムとの国境武力紛争に参加したことがあり、中国軍のなかで数少ない実戦を経験した将軍である。成都軍区政治委員を経て、二〇一五年夏まで空軍政治委員を約三年間、務めた。引退後は、全国人民代表大会(国会)で外事委員会副主任を務めていた。

 徐才厚氏と郭伯雄氏が失脚したあと、それぞれの元部下ら数百人が連座する形で粛清されたが、田氏が拘束されたことで今後、その周辺者や関係者のなかにも逮捕、または職を追われる人が多くいると見られる。「元成都軍区と空軍のなかに、夜眠れなくなった幹部が急増した」といった話が聞かれた。

「虎もハエも叩く」と宣言する習近平政権が主導する反腐敗キャンペーンは、二〇一四年に徐才厚氏、二〇一五年に郭伯雄氏、二〇一六年に田修思氏と毎年一人ずつ「軍のなかの大虎」として上将を摘発した。このことに大きな不満をもつ軍幹部は多い。

 ある幹部は、「まとめて摘発するならまだいいが、一人ずつやることで現場に恐怖を植え付けようとしている。このままでは、誰も安心して仕事できない」と語った。

 田氏が失脚した表の理由は、現役時代の巨額な贈収賄などの汚職にあったとされるが、本当の理由は習氏主導の軍区改革に反対したことだといわれる。田氏はほかの軍長老と連携して、自らの出身である成都軍区の撤廃に最後まで抵抗した。それが、習氏の逆鱗に触れたとされている。

習近平の「マージャン改革」


 中国人民解放軍は、二〇一五年まで計七つの軍区があった。習指導部は今年二月、済南と成都の両軍区を廃止し、北京を中部、瀋陽を北部、蘭州を西部、南京を東部、広州を南部にして、名称も軍区から戦区に変更した。

 ところが、この変更について「各司令部の配置バランスが極めて悪い」と首を傾げる軍事専門家がいる。七軍区は小平時代に定着した区分けで、各方面に起こりうる戦争や軍事衝突を想定し、その性質、規模などを考量したうえで対応する軍種を配置、それぞれの軍区には違う使命があった。しかし、これを五つにしたことで、チベットやインド方面を担当する司令部がなくなり、東沿海部の防衛も手薄になった。
「中国地図の形と仮想敵を一切無視して、強引に東、西、南、北、中の五つに分けた。語呂合わせとして良いかもしれないが、それ以外に七つを五つにする意味がわからない」といった不満の声が、軍の現場から聞こえた。マージャン牌には東西南北中があることから、今回の戦区再編を「マージャン改革」と揶揄する声もある。

 軍関係者によれば、習氏は当初、戦区を五つにしたのは、瀋陽軍区と蘭州軍区を廃止したかったためだという。瀋陽軍区は徐才厚氏、蘭州軍区は郭伯雄氏の出身軍区だった。習指導部は、胡錦濤時代を支えたこの二人の実力者を排除し、その勢いで二人の出身軍区も廃止して、二人の影響力を軍内から一掃することを狙ったのだ。

 しかし、現在の軍指導部内には瀋陽、蘭州両軍区の出身者が多くおり、反対が強く、同時に両軍区の戦略的位置が極めて重要であるため、激しい攻防の末、当初の構想になかった成都と済南の両軍区が廃止されたという。