ところでトランプ氏はTPPに反対である。TPPの再交渉があるのかないのか、あるいは再交渉の余地もなく、単にアメリカの不参加でTPPは事実上破綻するのか、そこにいま注目が集まっている。つまり、アメリカ側からTPPに対して拒否姿勢が出ているということである。ということは、TPPはアメリカの陰謀でも、日本の植民地化を実現する手段ではなかったことになる。だが、従来からTPP亡国論の類を主張していたメディアや言論人は、この事態を自省することもなく、別な屁理屈で米国陰謀論(そして貿易自由化脅威論)を仕立てあげる最中かもしれない。

 さてトランプ氏の保護貿易的な発言のメニューは豊富である。TPPのようなまだ実効がないものはまだまし(?)であり、候補者のときの発言を拾ってみてもWTO(世界貿易機関)からの脱退、NAFTA(北米自由貿易協定)の再交渉、メキシコや中国へのそれぞれ35%、45%の関税付与などである。これらの政治的な決断をトランプ氏は大統領権限として行うことができる。

 もちろんこれらは選挙戦略の一環としていわれていた側面もあるだろう。トランプ氏自らが、日本の「危機」論者と同じようなレトリックを駆使して、彼の政治的支持を拡大していったものと思われる。つまり「貿易自由化が、あなたたちを苦境に陥れる(陰謀である)」という脅しだ。この脅しに乗る人たちは、認知的バイアスに陥っている可能性が大きいが、それでも低学歴であるとか無知な人たちではまったくない。ここが最大の注意点だ。むしろ高学歴(そして高収入)で、隣人に対する共感に優れた人たちが多い。経済学者のタイラー・コーエンは、共和党の予備選挙などを分析して、トランプ支持者の所得が全米の中位層よりもはるかに上の所得であることを指摘し、さらに自分たちが貿易自由化で苦境に陥っているというよりも、むしろ文化的な意味で「貿易自由化」を敵視している可能性があると分析している。

 これは日本でも同様なことがいえるかもしれない。このコーエンの分析が正しければ、トランプ支持者は、日本のネットの意見でも散見される貧しい労働者たちや、低学歴の人たちが中核ではない可能性がある。言い換えれば、経済的に追い詰められていない(=物事を冷静に判断する自由な時間がある)高学歴の人にトランプ支持者が多く、なおかつそれらの人が貿易自由化に否定的であれば、それだけ事は深刻である。認知的バイアスは根深いものになるからだ。

 アメリカの経済学者たちの試算では、例えば中国との「貿易戦争」(関税引き上げなどの報復競争や全面的な禁輸など)の経済的損失で、最大で480万人の職をアメリカから奪うことになるだろうという。ただこのような経済的で合理的な試算を提供しても、なかなか理解が進まないことは、TPPの日本国内の論争と煽りをみてもわかることである。もちろん貿易自由化がすべてバラ色ではないし、さまざまな問題はあるだろう。しかしすでに十分に発展した経済で、また国内景気をコントロールする手段(マクロ経済政策)が保証されている国が、保護貿易のほうが自由貿易よりも得るものが多いということを想定することは難しい。また過去の歴史をも否定する出来事ともいえる。

 今回のトランプ勝利をきっかけに、貿易自由化の意義、その国民の生活にもたらす経済的成果を冷静に考える時間を持ちたいと思う。