10月19日から文部科学省が主催した「スポーツ・文化・ワールド・フォーラム」の招きで来日したIOCのバッハ会長は、10月18日に都庁を訪れ、表敬訪問の形で小池知事と会談した。その際明確に、最初に決めたことを守るとともに「選手第一主義」と「ひとつの選手村」の大切さを強調した。ボート、カヌー会場のことは一切触れていないが、彼がここで主張したかったことは、「オリンピックにはオリンピックのルールがある」ということだった。
記念撮影に応じるトーマス・バッハIOC会長と小池百合子都知事=10月18日、都庁(荻窪佳撮影)
記念撮影に応じるトーマス・バッハIOC会長と小池百合子都知事=10月18日、都庁(荻窪佳撮影)
 バッハ会長は、初の五輪金メダリストのIOC会長である。1976年モントリオール五輪フェンシングフルーレ団体で金メダルを獲得したが、それよりも重要なのが1981年にバーデンバーデン(当時西ドイツ)で開催されたオリンピックコングレスに選手代表として演者を務めていることである。このコングレスは五輪運動において五輪大会に次ぐ貴重なイベントで、IOCは8年に一度の開催を理想としてきた。世界中のスポーツ関係者が一堂に介して、オリンピック運動の今後について語り合う場であり、未来のオリンピックへの展望を共有する場である。そして、この第11回オリンピックコングレスの最も重大な議決の一つが「選手の声」を聞く、選手委員会の創設にあった。

 選手代表のトマス・バッハはこの選手委員会の創設メンバーとなった。すなわち彼は、物を言えるオリンピック選手の先駆けであり、以降の彼の歩みは理想的なIOC会長になるための訓練の日々とも見て取れる。オリンピックの将来はこの時から彼の双肩にかかったと言っても過言ではない。その詳細は省くが、1991年にIOC委員となって以来、様々なIOC委員会での働きで頭角を現し、1996年にIOC理事となってからは、誰もが認めるIOCの実力者となっていった。その懐にあった最も大事な至言は「選手がオリンピック運動の要である」という思想であり、それがバッハの掲げるオリンピックアジェンダ2020(アジェンダ2020)の根幹のひとつ、選手第一主義に繋がる哲学なのである。

 その哲学を持したバッハ会長から見て、小池知事が掲げた都政改革の中に浮上した東京五輪会場見直しは、スポーツが政治に対して解決しなければならない問題であり、特に分村を前提とする長沼ボート場への変更案は、選手第一主義への無理解を示し、それへの啓蒙にバッハ会長自らが動くしかなかったのである。