スポーツ外交の肝は、スポーツ的な臨機応変な対応であり、仕組まれたシナリオを超えるような、その時にベストな判断を引き出すやり方である。そして、相手の主張を生かして、自らの場において一つの繋がりを見つけることである。四者会談の提案はまさにそうで、都知事と組織委員会が対立関係にある構造を、IOCが自ら下りてきて、日本政府も巻き込んで、同じ場で日本オリンピック委員会(JOC)とともに解決しようということである。

 アジェンダ2020で五輪経費削減を目指すIOCの主張を敷衍(ふえん)して、資金を拠出する所が権限を持つという小池知事やPTの常識は、政財界で通用しても、五輪運動の場ではただの政治的介入に見られる。五輪組織委員会を都の監理団体に置くという発想は、五輪憲章の否定となり、IOCが絶対に受け入れることはないだろう。なぜなら、そもそも五輪の理念は、スポーツによる世界平和実現なのであり、世界のトップアスリートが人間の限界に挑戦する姿を、国を超え、政治を超え、宗教を超え、あらゆる垣根を超えて、称え、そして支える中で、平和への希望を有するという確かなる信念を共有することなのである。政治からの自律を貫かなければならない。
福島県庁でのフラッグツアーを終え、記者の質問に答える小池百合子都知事(右)=11月2日(桐原正道撮影)
福島県庁でのフラッグツアーを終え、記者の質問に答える小池百合子都知事(右)=11月2日(桐原正道撮影)
 PTが出した、このままでは3兆円かかるという警鐘を受けて、我々が賢察しなければならないことは、五輪運動が世界平和構築の残された一縷の望みであり、そのために我々が五輪開催準備にいくらをかけるべきなのか? そして、どうやってその費用を捻出するのかという試行錯誤である。バッハ会長はその場を四者会談に求めている。

 五輪を政治的パフォーマンスに利用しようとすれば、オリンポスの神は黙ってはいない。そのことは舛添知事の末路を見れば明らかである。日本ウエイトリフティング協会会長としてスポーツの現場の声に耳を傾けてきた小池知事ならば、IOCのスポーツ外交に応じていくセンスがあると信じたい。

 優秀なPTは、今回のIOCのスポーツ外交を見てギアを変えた。今後はIOCの選手第一主義に合わせてくるだろう。それはボート、カヌー会場の候補地から、彩湖を外し、長沼ボート場を残し、かつ海の森水上競技場の選択肢を二つにしたことからも伺える。従来案の常設に加え、仮設を提案した。これによって、小池知事が長沼を選択しない可能性を増やし、海の森水上競技場の仮設を選べば、都民ファーストを尊重したことになるとともに、もし常設を選択すれば、IOCへの忠誠を示しつつ、かつ都民への貢献も示すことができる。PTが動かなければ491億円が300億円になることはなかったからである。

 1964年の東京五輪が歴史に残るほどの評価を得たことはIOCの記憶にある。信頼できるはずのパートナーだった日本がリオ五輪の準備段階にも劣る七転八倒を繰り返している。日本贔屓だったバッハ会長も疑心を抱かざるをえない状態になっている現実がある。小池知事がどこまでオリンピズムに近づけるかどうか? オリンポスの神は見ているはずだ。