そもそも、筆者が気になるのは、「キュレーションメディア」というネーミングだ。この言葉が頻繁に利用されるようになったのここ2、3年だが、メディアの手法としてのこのネーミングには違和感を覚えてきた。

 外部からの情報を読者にわかりやすく「まとめ」て、情報提供をする、という意味では、全てのメディアがキュレーションであるからだ。新聞などは、世界中の情報を効率的にカテゴライズして、限られた紙数にまとめつつも、一定の信頼性と確からしさを確保している脅威の「キュレーションメディア」である。

 しかしそれがなぜか、「ウェブで、手軽に、既存コンテツを切り貼りして、どこかの誰かがまとめて(編集して)公開する」というフランケンシュタインのようなメディアを「キュレーションメディア」と表現するようになった。

 手法としては、明らかに既存メディアの劣化版、簡易版である「フランケンメディア」でしかないにもかかわらず、「キュレーションメディア」という横文字新造語にはどことなくオシャレ感と先進性が漂う。このITメディア用語特有のオシャレ感はありふれたモノやコトを新しそうに見せるための常套手段だ。

 信頼性なき「フランケンメディア」であっても、「キュレーションメディア」などという横文字新造語に置き換えることで、「新しいメディア」を感じさせてしまう。しかし、よく考えてみれば、DeNA社のサイトに限らず、問題となっているキュレーションメディアたちは、「どこかの誰か」が個人的な感性で玉石混合の情報をかき集めただけであることは誰の目にも明らかだ。

 そもそもインターネット黎明期、我々は方々から無許可でコピーしてきたコンテンツを寄せ集めた「違法だけど便利なサイト」を「アングラサイト(地下サイト)」と呼び、その運営者を「管理人」などと呼んできた。それが今日は「キュレーションサイト」となり、その運営者は「キュレーター(=学芸員)」と呼ばれているわけだが、サイト自体の本質はアングラサイトと同根であるように思う。

 そして、いずれも多くの読者がそれ(=違法・脱法)をわかった上で利用している、という点も共通している。しかし、罪悪感はアングラサイト時代よりも格段に薄まっているか、皆無だ。だからこそ、キュレーションメディアが持つ今日的な問題はより根深い。