杉原千畝とシンドラーは〝別物〟


 時代と都合によって変化する正義、不正義の定義など頼り無いものであるが、普遍的な行動を測る物差しはある。

 美しいか、美しくないか。

 物差しは、「平時」と「非常時」の二種の目盛りについても迫る。

「国を想う」道にも美しさはあろうが、「人を想う」に比べれば、その面積は当然に狭くなる。

 美しい人々の棲む、美しい国の、美しい国益――という文字の並びは、一見すると結構のようではあるが、「人々」の持つ様々な感懐を一纒めに括らざるを得ない乱暴さが潜んでいる。

 杉原は〈武士の心〉を頼りとして決断した。

 外務省やソ連からの退去命令を無視しながら、杉原はビザ発給を続行する。

 杉原の勇気によって命を救われた六千人は三世代を経て、三万二千人を数えた。

 人道主義が国益に重なるのは、美しい行いに牽引された時に限る。

 カウナス駅でベルリン行きの列車に乗り込んでからも窓から身を乗り出して発車間際まで杉原は許可証を書き続ける。

 やがて列車が動き始めた時、ホームに残ったユダヤの人々に頭を垂れて次のように言う。

「許して下さい、皆さんのご無事を祈っています」

 武人が祈るとは泣くことであり、許せとは死ぬことである。

 涙の理由を識(し)るからこそ、日本人による善行の数は後が絶えず、度重なる災害を前にしても強いのだ。

 ヨーロッパ人も奇天烈で、杉原をして〈東洋のシンドラー〉とは、何を云うか。

 日本人の美徳として、他者の勘違いをことさらに言い募りたくはないが、杉原は救けたユダヤ人を後に訪問し、何がしかの援助を受けたことなど断じてない。

 如何なるセンスで〈東洋の――〉或いは〈日本の――〉なんぞとスケールを小さくし優位性を保とうとするか。

 白人名物、有色人種差別の遺伝子が衣の下から覗くヨロイのように転び出もしたか。

 いや、つい感情的になり、日本人として恥ずかしや、平に謝す、許されよ。