街角の孝行少年へのいたわり


 靖國神社近くの街角で夜ごと辻(つじ)占(うら)売りする十一、二歳の少年がいた。辻占とは占いのみくじ。父は旅順で戦死し、母は長患いで寝たままの生活で、少年は朝は新聞配達、昼は小学校、夕方から辻占売りをして母の面倒を見る評判の孝行息子であった。

 陸軍記念日の三月十日夕、人力車で通りかかった乃木は、車夫に少年のこと聞いた。用事を済ませて乃木が少年の長屋を訪ねると、ちょうど借金取りが大声で催促している最中。泣くがごとく猶予を訴える母子を目の当たりにして、代わりに借金を払い帳消しにした。涙を流し畳に額を擦り付けて礼を述べる母子に「礼には及ばん。松(しよう)樹(じゆ)山(ざん)に名誉の戦死をなされたあなたの夫は私の部下だった。夫を殺したのはこの乃木だと、さぞ恨んだことだろう」と打ち明け、「仏前に」と二十円、「孝行するんだよ」と少年に五円を渡した―。
乃木神社の旧乃木邸にある「乃木大将と辻占売り少年像」
乃木神社の旧乃木邸にある「乃木大将と辻占売り少年像」
 これは、乃木の逸話の一つとして一世を風靡した講談「乃木将軍と孝行辻占売り」。美談として脚色された部分もあるが、実際にあった。

 乃木が少将だった日清戦争前の明治二十四年、所用で金沢を訪れ、街角で辻占売りをする八歳の今越清三郎少年に出会った。夜も働いて家族を支える姿に心動かされた乃木は持ち合わせた二円を渡して励ました。今越少年は乃木の激励を心に刻み、金箔師として精進し、滋賀県無形文化財に指定された。昭和四十九年に九十一歳で亡くなるまで、その恩を各地で語り伝えていた。

 乃木は学習院長になっても、陸軍大将と軍事参議官を兼ねていたから多額の俸給があったが、その大半を戦歿者遺族への弔慰、遺族・旧部下の困窮者への支援、傷病者への医薬費、廃兵の慰問、その他公共事業への寄付等に使った。