米国の政治的な視点では、真珠湾事件は65年前にすでに終わっている。すなわち1951年5月のマッカーサーの米上院委員会の証言だ。彼は「日本は絹産業以外には固有の天然資源はほとんど何もない。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い。錫が無い、ゴムが無い。それら一切のものがアジアの海域には存在していた。もし、これらの原料の供給を断ち切られたら、1000万から1200万の失業者が発生することを日本人は恐れていた。したがって、彼らが戦争に飛び込んでいった動機は主として生存の必要に迫られてのことだった」これは真珠湾の反撃は日本の自衛のためであったということである。これは史実と合致する。

 この米国の大転換の背景には長年の太平洋政策の失敗がある。戦前米国は支那満州への進出を望み邪魔な日本を滅ぼしたが、ソ連の南下で1949年支那満州が共産化され1950年には全支那から追い出されてしまった。

 まさに「鳶に油揚げをさらわれた」のである。この結果米国は日本防衛が大きな経済的な負担になり、日本に自衛を促すために独立させることになった。これに伴い、米国は歴史観をそれまでの日本悪者論から日本自衛戦争論に180度切り換えたのである。

 日本の指導者を断罪した東京裁判の国際法廷は解散され2度と開かれることはなかった。そして1951年にはサンフランシスコ講和条約が結ばれ日米の正常な国交が回復し日米の敵対は正式に終わったのである。政治的な歴史観は現実の国家の利害の変化に合わせて変わる。まさにクローチェの述べたように「あらゆる歴史は現代史」なのである。
東京裁判に出廷した東条英機元首相(中央上)ら=1948年
東京裁判に出廷した東条英機元首相(中央上)ら=1948年
 なお米政府は事件の10カ月前に日本海軍の真珠湾攻撃を警告したグルー駐日大使のハル国務長官宛ての公電(1941.1.27付)を外交公文書館のHPで公開している。これは米政府が日米両国民に対し、真珠湾事件は奇襲ではなかったことに気付けというメッセージに思われる。

 しかし、日米が講和を結んだにも拘わらず、両国には反日プロパガンダ史観が根強く残り今日まで続いている。それには両国の特別な事情があるからだ。

 米国側には国家の無謬性につながるルーズベルト大統領を無条件で守る動きがある。このため米国の歴史研究者が真珠湾事件に到る外交関係を調べようとするとすぐに陰謀論者、歴史修正主義者のレッテルが貼られ研究を妨害される。

 これは大統領の戦争責任が明らかになることを恐れているのであろう。この結果米国社会では真珠湾事件の真相が知らされていないので一般国民はそれまでの反日宣伝を信じて日本に反感をもつのである。