新興宗教は閉鎖的?だからこそ逆を行く


 新宗連の4本目の柱の「国民皆信仰」という概念は、非常に重要だと感じています。それが、今の新しいこの時代の宗教性だと思っているからです。私は新新宗教の御三家と言われたんです。それはワールドメイトの私と大川隆法氏、オウム真理教の麻原彰晃氏です。宗教学者の島田裕巳氏は、麻原彰晃と深見東州は平成の宗教改革者だと言っています。

 ただし、「あまり社会の軋礫を恐れすぎたら伸びないですよ」っていうような ことを、皮肉っぽく書かれています。でも、まあおっしゃった通りになりましたよ。かたや死刑囚、かたやこのように世間の軋礫を恐れず、明るく楽しくやる神道ですから。島田氏はそれだけ宗教のことを研究しているので、島田氏にいくら言われても全然うれしいですね。宗教のことをよく知っている人ですからね。

 オウム事件なんかがあって、特に新興宗教は先ほども触れたように、閉鎖的で排他的で怪しいというイメージが先行しているんです。テレビなんかは宗教団体が撮影してはダメだとかいうところを、意図的に撮ろうとして怪しい雰囲気を醸し出すものです。

 だからこそ、我々ワールドメイトはその逆を行くんです。テレビが来たら、もう何でも取材してもらう。どうぞどうぞって。フレンドリーで明るくて、そんな場面ばっかりだったら、面白くないからテレビは放映しないんです。

 ワールドメイトも、かつて「ビジネスと宗教が一緒になってるのではないか」と疑われて、マルサが来たこともありました。でも、結局何の問題もなかったことが証明され、かえって私たちの活動の正しさを知らしめることができたんです。反社会的でも閉鎖的でもなく、要は叩かれようがないんです。元は神道、生業と家とコミュニティーを繁栄させる精神や教えですからね。
脱税容疑で強制捜査を受けた際の会見で、七福神のコスプレで記者会見を行う深見東州氏(中央)ら=平成6年10月8日
マルサの強制捜査を受け、七福神のコスプレで記者会見を行う深見氏(左から3人目)ら=平成6年10月8日
 時代を超えた、普遍的な宗教性を貫くことは、旧態依然とした活動を続けることではありません。社会が変容してる以上、その時代の、社会に即した救済方法が必要だと思っています。それは、旧時代から見れば、異端や革新的に見えるものです。
 
 やはり、強調したいのは普遍的宗教性ですね。これがないものは、やっぱり閉鎖的になりがちです。宗教の殻に閉じこもっているわけですから。宗教は神の一部なのに、宗教家が一番神の事を知っていると思う傲慢さがある。

 宗教は宗教にしかできない役割と働きがあります。しかし、「美」の要素の芸術も、神の一部だし、「真」である科学も神の一局面ですね。経営も社会科学ですからね。そして、「善」は宗教そのものであり、教育や福祉、スポーツもそうです。それだから、「真・善・美」を全部やってるわけです。真善美を全部やって、初めて神を正しく受け取れるし、神を正しく実行できると思っているんです。

 だからこそ、私は宗教やビジネスだけでなく、作詞や作曲、文芸全般、絵画、オペラ、ジャズ、ロック、能楽、京劇、パントマイム、演劇など、あらゆる芸術文化に積極的に取り組んでるわけです。感性の極みである芸術が、最も神に近いと思うからです。