それでは日本ではいったいなぜ、世界にも類のない社会制度がつくられながら、認知症の人の運転の問題がなかなか解決しにくいのかを考えてみたい。

 そもそも自動車事故による死者はほぼ毎年減り続けており、年齢層別でみれば比率は高齢者でも16―19歳の若者と大きな違いはなく、死亡事故自体の実数は40-44歳の世代が最も多いという統計データが存在する。したがって高齢者が特段事故を起こす危険な存在であるかのような報道のイメージで判断すべきではない、ということも一理あるのであろう。

 私も認知症の人=走る凶器、といったことは全く考えていない。それは、認知症とはある日突然症状が出現し、数カ月後には寝たきりになるかのようなイメージがあるのかもしれないが、認知症の原因の過半数を占めるアルツハイマー型認知症では、発症からほぼ寝たきりの状態になるまで15-20年はかかるのであり、発症直後から常に運転が危険であるとはいえないと考えられる。
 
 また最近は認知症予防ブームとして書籍やマスコミを通じたさまざまな予防方法が宣伝されている。「○○をすれば認知症が治った」といった類と同様に、外来診療において「運転をやめるとボケてしまう、認知症になってしまう」「運転をやめるとボケが進むから、運転はリハビリとして続けさせたい」というご家族に最近よく出くわす。ご家族にとっても藁にもすがる思いからの発言であろうと思われるが、筆者は運転をやめることが直接的に認知症を発症させたり、もしくは進行のスピードを加速するとは考えていないため、やんわりと「現時点では危険ではないと感じていても、今後認知症が進行して運転継続が危険になってからでは遅い。リハビリを勧めた人や書籍が事故の賠償金を補償はしてくれない」と説明するのだが、本人や家族の顔は納得していないと感じる。まだまだこの問題については正しい情報や正解があるわけではなく、医療者側にも存在しないことが阻害要因と思われる。
 
 また、認知症の人とその家族に運転中断を医師として勧告してきた経験から言えば、運転自体は、公共交通機関の整備が脆弱である地方都市や中山間地域では、認知症の人のみではなくその家族の通院や生活必需品の購入といった地域生活に欠かせない存在であり、生きる権利を奪われることに等しいと認識されたり、ドライブが生きがいであったり、孫の送り迎えが家族への唯一の貢献でありその役割を奪われることへの抵抗を示す方もこれまで多数経験してきた。運転をやめた後、高齢者が地域で生きていく手段や生きがいづくりをなかなか提案することが難しい点も、この問題解決を阻害する要因であろう。
 
 また見逃せないのは自動車運転とは実にさまざまな行政領域と関係していることである。運転免許は警察庁、自動車やカーナビシステムは経済産業省、自動車保険・自賠責・道路環境は国土交通省、民間保険は金融庁、病気は厚生労働省というようにさまざまな省庁にまたがっている。そのため、これまでは運転免許というと警察庁が主導であり、他の省庁と連携が取りにくかったため、認知症と自動車運転の問題を包括的に考え、解決策をとることができなかったことは想像に難くない。

 例えば以前、認知症の人とそのご家族に事故の有無について調査を行い、気付かされたことがあった。事故を起こした認知症の人とは、スピードや右左折する場所などこと細かく助手席から指示を出す家族の場合であり、事故を起こしそうで事故がない認知症の人とは、家族が助手席からアドバイスをするにしても必要最低限で繰り返し指示を出さない傾向の人であった。
 
 自分の経験でも、カーナビ付きの車で目的地を入力して出かけると、目的地周辺に着いたカーナビは「目的地周辺です、目的地周辺です」と繰り返し、慣れない初めての場所だとかえってパニックとなり、目的地周辺をぐるぐると回るだけでよそ見をするし、急停止をするしで事故を起こしそうな経験をしたことから、高齢者向けのカーナビなどは音声の出し方に工夫があってもいいのではないかと痛感した。いろいろな場所で講演をするたびに話をしているが、このようなカーナビはできたのだろうか? 自動運転の時代がもうすぐそこに来ているといわれているが、そこまでとは言わないまでも高齢者の老化に合わせた車造りや補助システムの工夫があってもいいと思う。
 
 自動車は人が造った機械であり文明の所産であるのは間違いないが、それを動かすのは人間である。そして人間は高齢になると65歳以上の15%が認知症になると疫学調査でも判明している。認知症とは大脳の病気で、その原因は何種類もの病気から引き起こされるが、自動車運転の問題を考えるとき、やはり基本は認知症に対する正しい知識や対応が必要である。
 
 私が尊敬する医師の一人である後藤新平は明治・大正・昭和初期の医師・官僚・政治家である。その後藤が常日頃言っていた言葉に「社会施策は生物学の法則に従わなければならない」と述べている。その意味は「社会の習慣や制度は、生物と同様で相応の理由と必要性から発生したものであり、無理に変更すれば当然大きな反発を招く。よって現地を知悉(ちしつ)し、状況に合わせた施政を行っていくべきである」とも解釈されている。
 
 医師という立場であるが故に親近感から納得するのかもしれないが、認知症と自動車運転の問題解決には、単なるブームや社会問題化ではなく、もう一度基本に立ち戻り、認知症という病態を生物学的な法則という視点で経験や研究の成果を今後も積み上げ、継続していくことが大事であると考えている。昨年11月15日に安倍総理が最近多発する高齢者の事故対策を指示したと聞いている。これを機会に本当の意味での国家的な対策が、科学的研究や生物学の法則をもとに作られることを期待したい。