龍馬暗殺「実行犯」の動静から

 
 最後に、龍馬暗殺下手人のただ一人の生き残り、今井信郎の動向を新史料から紹介する。
坂本龍馬が暗殺された近江屋跡に建つ石碑=京都市中京区
坂本龍馬が暗殺された近江屋跡に建つ石碑=京都市中京区
 最近幕末三舟の一人高橋泥舟(岩下哲典『高邁なる幕臣 高橋泥舟』教育評論社、2012年)の明治4年の日記「公雑筆記」(岩下・高橋泥舟史料研究会編『高橋泥舟関係史料集』第二輯・日記類二、2015年)を読んでいたところ、今井信郎が泥舟の家に来て酔っ払い、翌朝、詫びに来たことが書かれていた。今井は、箱館五稜郭戦争で新政府軍に捕縛され、龍馬暗殺を自白した。ただし、本人は見張り役であったという。

 今井は、明治3年9月に司法省から禁固3年・静岡県預かりになっており、すなわち箱館降伏人として静岡に居住していた。ところが、泥舟の日記によると、明治4年2月10日、今井と連れの1人が、あろうことか泥酔状態で泥舟の家にやってきた。その後、旧幕臣の高月と天野もやってきた。翌日、今井が、昨日は申し訳ないと詫びに来たという。

 なぜ、今井が詫びに来るほど酔っていたのか、一緒に来たもう一人が誰なのか、日記の記述だけではわからない。その9日後の19日夕方、今度は山岡鉄舟が静岡からやって来て、その夜に今井と旧幕臣、信太歌之助もやってきたという。何を話したのか、泥舟の日記からは何もわからないが、話は坂本龍馬のことにも及んだかもしれない。泥舟も鉄舟も龍馬とは知り合いだし、ましてや今井は龍馬暗殺の実行犯である。

 さらに注目すべきは、今井の刑期が切れるのは、本来、明治6年のはずであるが、2年も前の4年の段階でこのように泥酔してくだを巻くほど比較的自由に暮らしていたことである。他県に行くような大きな移動は難しかったと思われるが、静岡と田中(現在の藤枝市)ぐらいの移動は大目に見られていたのだろう。

 また、あくまでも見張り役だったこともあろうが、新政府に逆らって箱館戦争を戦った者への待遇として、静岡藩はまったく緩かったとしか言いようがない。前述したように永井尚志が明治5年まで兵部省糾問所牢獄に収監されていた。この違いはかなり大きいのではあるまいか。

 その後今井は、明治5年に特赦を受けたとされるが、実質はすでにほぼ自由の身であった。つまり私は、今井は新政府と何らかの取引をしたのではないかと思う。もちろん証拠はない。しかし、今井が比較的自由に暮らせたのは何か理由がないと説明がつかない。今は指摘するにとどめるが、何か割り切れないものがある。

 そしてその後、今井は初倉村(現、島田市)に移り、村長等を勤め、大正7年、1918年まで、77歳の天寿を全うした。

 はたして龍馬を暗殺した黒幕はいったい誰だったのか。心は騒ぐが、新たな関係史料が見つかることを祈念したい。そして、2017年の丁酉はどんな時代の幕開けになるのかも、とても気になるところである。