怒りが満ちる社会に、ベーシックインカムを


 ところが今は違う。経済は停滞し、「格差社会」「下流社会」「貧困の連鎖」などの言葉が実態とともに広まった。もう、一億総中流の幻想は信じられない。かといって、これまで信じてきた「みんな一緒」の安心感まで捨てよといわれれば、多くの人は戸惑うだろう。政府が「この国は自由競争にもとづく格差社会になりました。財政が厳しいので税負担は以前より重くしますが、福祉予算は徐々に削っていきますので、頑張って自己責任でサバイブして下さい」と言っているようなものだ。

 「みんな一緒」への甘やかな欲望が中途半端に残っているのに、生活は厳しくなる一方、税負担はこれまでより重く感じられ、与えられるべき福祉への希望はやせ細る……今や、国民の6割が「生活が苦しい」と答える時代である(厚労省「平成27年 国民生活基礎調査」)。こんな状態で、再分配を受ける生活保護者へのまなざしが厳しくなるのは、悲しいけれども必然だ。

 今、「私たちは『みんな一緒に』苦しむべきだ」という、歪んだ圧力が生まれている。昨年は経団連の会長が、「国民の痛みをともなう改革を」と発言し、波紋を呼んだ。かつての小泉政権の構造改革を意識したのかもしれないが、経済的な苦境がいや増した現代にそれを言えば、「みんな一緒に苦しみましょう」としか聞こえない。

 私たちは、富めるときも貧しいときも「みんな一緒」が大好きだ。その和を乱すかのように映る人へのスティグマは大きい。生活保護の99.5%は正しく支給されているにもかかわらず、「不正受給」ばかりが大きく報道され、市の職員が「保護なめんな」とまで言わなければならない状況は、みんな一緒の和を乱す(と感じられる)人たちへの怒りが増幅していることの現れである。「みんなで苦境を共有すべきなのに、ごく一部だけが福祉の恩恵を受けている、許せない」。そんな怒りが、社会に満ちている。これが健全な状態といえるだろうか。

 だからこそ、本稿で主張したいのが「ベーシックインカムの導入」である。ベーシックインカムとは、国民すべてに毎月、一定額を支給する制度であり、乱暴に言ってしまえば、これまでの福祉制度をベーシックインカムに一本化するイメージだ(※注1)。生活保護をはじめとする細分化された福祉の恩恵は減るが、そこにかけていた膨大な人件費は削減でき、ケースワーカーを増やす必要もなくなる。