かつては「日本型社会主義」だった


 「そんな夢物語があるはずない」という人もいるが、今年はじめにはフィンランドで実験的な導入がスタートしており、決して夢物語ではない。CNNが今年1月3日に報じたところよると、フィンランドでは2000人の国民を対象に、収入や資産、雇用状況にかかわらず、毎月一律560ユーロ(約6万8000円)が支給されるという。中には労働意欲をなくす人もいるかもしれないが、ベースとなる収入がある安心感から、好きな仕事を探し、さらなる収入を得ることも可能だ。

 日本の生活保護では、就労によって少しでも収入が増えると保護が打ち切られるケースが多く、就労意欲を削いでしまう。結果的に生活保護から抜け出せなくなる人も多いといわれているが、ベーシックインカムは全く別の考え方だ。「みんな一緒」にスタートするが、そこからは自由。働きたければどんどん収入を増やす努力をすべきだし、働いたからといってベーシックインカムが打ち切られることはない。

 なにより「みんな一緒」なので、生活保護受給者へ向けられるような「スティグマ」が生じ得ない。これこそ最大のメリットである。国民すべてが一律の収入を得られる制度は、長らく「みんな一緒」の幻想を信じてきた日本国民にとって、むしろ適合的ではなかろうか。

 ベーシックインカムは社会主義的だという人もいるが、日本は高度経済成長時代、国が福祉を提供し、民間企業が終身雇用を約束する「日本型社会主義」と言われていたくらいなのだ。もう長い間、我が国は「みんなで」成長してきたのである。
 その意味では、高度経済成長時代への(非現実的な)憧憬を、現実的な社会制度に落とし込むのがベーシックインカムかもしれない…とは言い過ぎだろうか。導入に際しては「※注」で述べるように、さまざまな課題もある。それでも本稿では強く「ベーシックインカム」の可能性を主張したい。

 福祉の現場が疲弊し、「保護なめんな」と脅しながらケアを続ける怒りを何とかするには、本質に立ち戻って考えなければならない。私たちはどんな状態を理想と考え、考えてきたのか。国民の「能力」(という表現はあまり好きではないが)を最大限に活かす道はないのか。理想をめぐる議論を深めつつ、現実的な制度設計をしていくべき時がきている。

(※注1 これまでの福祉制度をベーシックインカムに一本化することの是非については、「福祉の細やかさが失われる」「むしろ新自由主義的な風潮が強まるのでは」などの意見もある。本稿ではこうした議論まで立ち入ることはできなかったが、ベーシックインカムを導入すればすべて上手くいくわけではないことは確かであり、議論が必要だ)