その越智が3年になると精彩を欠き、3年秋こそ最優秀防御率投手賞を獲得しているが、3年、4年で4勝しかしていない。尻すぼみの感は拭えず、これではドラフト指名がないかもしれないと思っていたら、巨人から4位指名を受けて入団した。身長185センチの身体、最速150キロを超え、140キロの高速フォークボールを持っている投手をプロ野球は放っておかなかった。巨人のドラフト指名には、正直ちょっと驚いた。
プロ野球巨人対中日8回、中日・ブランコから三振を奪い、雄たけびをあげる
巨人・越智大祐投手(当時)=2010年 04月10日、東京ドーム
プロ野球巨人対中日、中日・ブランコから三振を奪い、雄た
けびをあげる巨人・越智大祐投手(当時)
=2010年 04月10日、東京ドーム
 私の勝手なイメージでは、プロに入るくらいの投手は、何か格別な武器や売り物を持っているものだと思い込んでいた。越智は球速、制球、勝負強さ、いずれの点でも合格点以上だが、突出した魅力が薄い。それでもやはり、背が高くて球速があってアマチュアで一定の成績を残せば、プロは可能性を求めるのだなと。

 2006年にプロ入りした越智大祐は、最初の2年間を二軍で過ごし、3年目の2008年から一軍で活躍し始めた。

 7月のヤクルト戦に中継ぎ登板、初勝利を挙げて以降は、毎試合のように越智の名前がコールされた。多くの野球ファンが越智の名をはっきり認識したのはこの時期だろう。結果的にキャリア最多となる68試合に登板、3勝3敗10ホールドの成績を残した。

 この年の巨人は、阪神に最大11.5ゲーム差をつけられながら大逆転優勝を遂げ、メークドラマをしのぐ「メイクレジェンド」とも形容された。その原動力の一人が越智だったことは、巨人ファンの記憶には深く刻まれているだろう。

 だが、それ以上に強い印象を残したのはこの年の日本シリーズだ。西武との第7戦。1点リード、日本一に王手をかけた形の8回に原監督が命運を託したのは越智だった。このシーズンはそれが、同じころ台頭した左腕・山口鉄也とともに抑えのクルーンにつなぐ「勝利の方程式」になっていたから(後に山口と越智は風神雷神コンビと呼ばれた)、ファンは期待こそすれ、越智の登板に異論を抱くファンは少なかったに違いない。もしあるとすれば、しばしば見せる越智の制球難……。

 この試合は、その不安が現実となった。死球、四球でピンチを作った後、タイムリーを打たれ、大切なリードを守れなかった上に逆転を許し、敗戦投手となった。ほぼ無名の存在が、ファンに頼られる中継ぎエースとなった飛躍の年は、奇しくも投手・越智大祐を語る上で最も象徴的な敗北のドラマで幕を閉じた。