この映画(原作)冒頭の「ひとさらい」のエピソードは、何度も何度も執拗にくりかえされ悲惨さを増していく後の呉空襲のエピソードのひな形であることは一目瞭然であろう。もちろん決定的な違いはある。「ひとさらい」エピソードでは失われたものは、一枚の海苔でしかない。他方で呉空襲そして広島の原爆では、すずの右手、親せきの少女や幼馴染、家族や多くの人々の生命が失われ、また傷つく。
主人公・すずの声は、のんが担当した
主人公・すずの声は、のんが担当した
 もちろん呉空襲も広島原爆もリアルな現実であり、そのリアルさを描くことでは、このアニメと原作マンガは傑出していることは何度指摘してもいい。だが、他方で、失われた右手に代表されるが、作品世界では本当には失われることがないことにも注意しなくてはいけない。

 失われたものたちは、何度も何度も、すずの主観と環境の中で繰り返し登場し、彼女に声かけていく。それはわれわれを「記憶」とも「歴史」とも名づけていいだろう。しかしその「記憶」や「歴史」は、科学的で客観的なものではない。想像や夢うつつともまじりあった重層的なものである。これを私たちは「神話」とも呼んでいるのではないか。

 「神話」は、単なる物語ではない。その物語性によって人に活気を与え、無意識から意識までの人々のリアルに重要な影響を与えるものだ。『この世界の片隅に』は、現代におけるそのような「神話」のもつ意味を復活させているかに思える。

 この「神話」は強さと同時に危うさをも持っている。そのことが端的に表現されているのが、この作品における「アメリカ」の位置だ。米軍は、もちろんリアルでも作品世界でも「敵」であり、また生命の危機をもたらす脅威であった。多くの日本に住む人々の生命を奪った「アメリカ」は、深い敵意を向ける相手ではないか。