スーパー独裁政治を生む政治土壌

 集団的自衛権の行使は違憲だから止めろ、と叫んだものが何時間後に死体となって道路に倒れていたり、安倍政権打倒を叫んでいる私のような人間がいつの間にか消えてしまうようなことがあれば、人々はおびえて黙る様になり、安倍政権に楯突く者はいなくなり、独裁政治は完成していく。            

 確かに安倍首相は今のところそのように暴力を用いて政治を思うままにしていない。いずれ共謀罪などを成立させ、冗談にも「安倍政権打倒」などといえなくなるだろうが、とにかくいままでは暴力など用いずとも、憲法違反の政治を堂々とやってこれたのだ。
衆院予算委員会で、平成28年度第3次補正予算案について、小野寺五典元防衛相の質問に答える安倍晋三首相=1月26日、国会・衆院第1委員室(斎藤良雄撮影)
衆院予算委員会で、平成28年度第3次補正予算案について、小野寺五典元防衛相の質問に答える安倍晋三首相=1月26日、国会・衆院第1委員室(斎藤良雄撮影)
 私はスーパー独裁政治は、無菌の寒天にばい菌やカビが育つように、日本国憲法という寒天がスーパー独裁政治を育ててきたと思っている。あるいは「戦後レジームからの脱却」と安倍首相が叫んだその戦後レジームという日本の政治体制そのものがスーパー独裁政治を発芽させ育成する為の土壌となり、肥料を施してきたと考えるのだ。

 高邁な精神を謳った日本国憲法が護ろうとした平和主義と、民主主義、基本的人権の尊重と言う熱い生命力とその免疫機構を安倍普三というがん細胞はどうして無力化できたのか、日本国憲法の条文に照らし合わせて考えてみたい。


集団的自衛権の行使は違憲なのに何故抑止できないのか


 日本国憲法第98条は「この憲法は国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関する、その他の行為の全部または一部は、その効力を有しない」とある。

 だとすれば、集団的自衛権の行使が違憲か違憲ではないかを正式に確定させ、集団的自衛権の廃止がなされなければならないのだ。そこで日本国憲法第81条の「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則または処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」とある。

 だから、野党の集団的自衛権の行使に反対する国会議員(だけではないはずだが)が集団的自衛権の行使は違憲だから法案の廃止を求める違憲訴訟をしなければならないのだ。この2つが正しく機能すれば集団的自衛権の行使などできるわけがないはずだ。

 しかし、それが簡単ではない。最高裁判所は自ら98条に違反して(解釈して)高度に政治的な問題については司法ではなく国民が選挙で決めるべきだと言う統治行為論を持ち出して集団的自衛権行使が違憲か合憲かの判断をしないのだ。だからこの問題に決着をつけるには、安倍政権を倒すことでしか解決できないのだ。更に問題なのは第79条で「その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する」とあって、最高裁判所が違憲判断を下すにしても、裁判官たちは内閣から任命される以上、内閣の意に反する判決は下しにくいと思われる。

 また法に強制力がなければ法としての機能を十分に発揮できない、とドイツの法哲学者が言っているが、憲法には憲法違反については何も記していない。だから安倍政権が憲法違反に問われたとしてもその罪はどのようにして償いさせればいいのか決定できないはずだ。日本国憲法は憲法違反に対しては防御力が致命的に弱いのだ。