なぜ安保法案が成立するのか


 日本国憲法第67条は「内閣総理大臣は国会議員の中から国会の議決で、これを指名する」とある。議院内閣制の採用であるが、この条文だけでは国会議員と内閣総理大臣との力関係は等しいように見える。しかしその実態は圧倒的に内閣総理大臣の力は強くなっている。

 その理由であるが、国会議員が最も関心を示し、欲するものを国会議員に与える事について内閣総理大臣は決定的な影響力をもっている。地位と名誉を満足させる閣僚を始め様々な役職を付与し起用する権限、政党交付金が設けられたことによる巨大な政治資金等の配分決定、あるいは小選挙区制の採用や選挙のときの立候補者に対する公認の諾否など、国会議員の政治生命の盛衰に直結する権限などを政党のトップが握ることになり支配力が高まった。だから内閣総理大臣の言うこと、指示に対して、それが如何に総理の恣意であったり憲法違反の案件であっても、自分の政治信条に反することであっても嫌とは言いにくい関係が成立している。

 政党に関する運営規定が透明化されず代表者の力が肥大化してしまうのだから政党運営に関する事項については憲法に政党に関する規定を盛り込まなければならないはず。でなければ、憲法に内閣総理大臣の任期の規定が無いために、自由民主党の総裁選出規定がそのまま内閣総理大臣の任期を規定してしまうようなことになってしまっている。首相の任期の確定こそ民主主義政治の大原則なのだ。
 
 安倍首相が安全保障法案を議会に提出したとき当然党議拘束もし、記名投票にすれば、落選を覚悟しなければ安倍首相に反対はできないことになっている。

 また憲法第69条は「内閣は、衆議院で不信任の議決案を可決し、または信任の議決案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」とあって、内閣総理大臣の権力の大きさ、影響力の強さをしめしてもいる。何かの手違いで安倍内閣提出の法案をつぶしてしまうようなことがあれば、場合によっては衆議院が解散されかねないのだ。

 また野党が国民の事を考えて与党に対峙すると言うのではなくやはり与党と同じように御身大切で団結できず大きな力を形成することができないのだ。

安倍政権が支持されるワケ


 安倍首相のスーパー独裁政治を可能にする最大の原因は安倍首相の支持率が高いということにある。安倍首相の支持率が高ければ自由民主党にとって間違いなく有利になる。国会議員にとって最大の政治的関心は、全部ではないけれどもほとんどの国会議員は自分が選挙で勝ち続けること、即ちできるだけ長く政治家でいられることが最大の関心ごとなのだ。だから自分が内閣総理大臣になろうとすることを除けば、どの国会議員を支持してその人を政権の座につけその政権が持続することに目が向かうのだ。

 この議員心理のことは安倍首相も充分承知しており、支持率維持のために安倍首相もまた全知全能を傾けるのだ。

 赤字財政をものともせず、国債を発行し続け、ジャブジャブのインフレ政策を採用し、選挙前には増税すると公約していた消費税の値上げも見送る、あるいは出来もしないことをやると言って北方領土問題にとり組んだり、都合の悪い情報は国民の目につかないようにすることもできるのだ。

 また国民も民主主義における個人の責務を担うという感覚に乏しく、かまどの具合がおかしくならない限り集団的自衛権の行使のことなど関心も持たないのだ。北朝鮮が日本国に向けて核ミサイルでも発射しない限り、いくら尖閣に中国の公船が領海侵犯を繰り返しても、実害がなければ関心をしめさない。また、現状のやり方に対して問題がなければ、あわてて苦労してでも現状を変えるということには、積極的になれないのだ。変化は怖いし緊張を強いられるのだ。だから民主主義においてはよほどの事がない限り、政治は変りにくいのだ。安倍政治はこういう国民が置かれている状況を正しく認識してその心理的空白を巧についてくるのだ。

 また政治課題というものが極めて複雑化していて、個人の能力では新しい事に対する正しい見解と言うものを国民はもてなくなっている。

 集団的自衛権の行使ができることは日本の政治にどういう影響があるのか、分からない。だから当事者である与党に任せるしかないということでの与党支持という現象もあるのだ。