こうした内部的なトラブルが起きる中、いずれかが、正男はまだ亡命政権に加担する意思表示をしていないのに、あたかも首謀しているかのようなでっち上げ情報を伝えた可能性もある。

 相次ぐ高官の処刑を目の当たりにし、競い合うように正恩に情報を上げて、忠誠を見せつけたという見方もできる。

 いずれにせよ、亡命政権構想が出始めた昨年秋ころから正男の暗殺指令は出ていただろうし、これまでにも殺害するチャンスもあったはずだ。だが、工作員といっても正恩の兄である正男の暗殺実行を躊躇したことがあったのかもしれない。たまたま2月になって実行した結果、うまくいったのではないか。
北京行きの航空機に向かう金正男氏(右)=2001年5月、成田空港
北京行きの航空機に向かう金正男氏(右)=2001年5月、成田空港
 ただ、今回の暗殺は正恩にとっては諸刃の剣になる。北朝鮮のニュースでは一切報じていないが、最近はさまざまな手法で国民も情報が入るようになっている。金正日の長男である正男は血統的にはトップに就くだけの大義名分があるだけに、こうした身分の兄を暗殺したとなれば、国内外の印象は悪いはずだ。

 特に国際社会は「兄殺し」というレッテルを貼り、北朝鮮国内では表向きは知らないふりをしていても、徐々に正恩への不満がくすぶり始めるであろう。あまりに狂気じみている正男の暗殺を知った国民が亡命政権樹立に向けて結集する可能性も出てくる。特に正男の息子は、父親の仇として立ち上がる可能性も十分あり、正恩にとっては脅威以外の何ものではない。

 その半面、正恩はますます恐怖心を抱いていく。冷静さを欠いているだけに暴走を止めるのは難しい。特に懸念されるのが正男の子供らがターゲットになることだ。もちろん平一も今回の事件をきっかけに暗殺への機運がぐっと高まるかもしれない。

 一方で正恩とってメリットは、脅威になる存在の芽を摘んだことだろう。平一に「裏切るようなことがあれば次はお前だ」というメッセージを強く打ち出した。これから平一は下手に動くことはできなくなる。兄を暗殺した以上、もうだれを暗殺してもおかしくないという圧力を内外に知らしめたことは、亡命政権樹立を阻止することに大きな効果があったといえるのではないか。(聞き手iRONNA編集部 津田大資)

 り・よんふぁ 関西大教授。1954年生まれの在日朝鮮人3世。関西大学(夜間部)卒、同大学院博士課程修了。関西大学経済学助手を経て、現職。1991年に平壌の朝鮮社会科学院に留学。専攻は北朝鮮社会経済論。著書に「暴走国家・北朝鮮の狙い」(PHP研究所)など多数。