金正恩体制が発足してから最初の数年は、①国境警備や監視社会の強化で脱北者が出にくくなったこと、②景気の回復により経済的理由での脱北が減少した可能性があり、かなり低い水準に低下していた。

 だが、ここ1、2年は脱北者は増加傾向にある。もちろん最近の研究によれば、経済的事由のみが脱北の要因とはいえない。21世紀になり女性の脱北者の割合が高くなっているが、彼女たちの脱北理由に子どもの将来や、緊急性ではない経済的事由(いまの生活を安定化させるための脱北)が挙げられることもある(尹 鉁喜 「近年の脱北者における脱北動機の多様化と「直行」:韓国在住の女性脱北者へのインタビュー分析から」参照)。ただし、経済学的にはこれらもより期待所得の高い国への「脱出」であり、経済成長の動きと連動しているといっていいだろう。
北朝鮮の特殊部隊の訓練を視察する金正恩朝鮮労働党委員長
北朝鮮の特殊部隊の訓練を視察する金正恩朝鮮労働党委員長

 この脱北者の増加傾向と経済低迷は、金正恩体制の不安定化の兆しであろう。伝統的に同国は、自国の体制が不安定化すると二つの手段をとる。一つは自身の政治的不安材料の粛清である。もう一つは「対外冒険主義」といわれる核開発の加速化や周辺国との安全保障面での摩擦である。前者の粛清は、金正恩体制のもと、ここ1、2年でやはり激増している。今回の金正男暗殺もこの粛清による体制引き締めの一環ではないだろうか。

 ただし後者の対外的な摩擦は、北朝鮮への制裁の強化をもたらし、さらに北朝鮮の経済的苦境を招くだろう。だが、それに対しては、やはり北朝鮮は粛清と対外緊張という二つの手段以外にとるところはない。これが北朝鮮の根本的なジレンマである。

 こう考えると、北朝鮮の対応と、韓国の現在の対応はきわめて類似している。韓国経済も長期停滞が懸念されている。その経済的閉塞感を、韓国の政界は、朴大統領やその周辺の既得権者への政治的粛清、そして対外的には慰安婦問題の蒸し返しという対外緊張をもたらすことで、国民の不満をそらそうとしている。その意味では、北朝鮮と韓国の政治的風土には共通点があるのかもしれない。

 政治的手段が粛清と対外緊張しかなく、また経済的な運営が手詰まりになったときに、飢饉が引き金になって巻き起こったのが、90年代後半の大規模な北朝鮮の「飢餓」である。そのときに、何十万もの北朝鮮の人たちが餓死した。今回は、さらに大きな代償が北朝鮮に待っているかもしれない。この悲観シナリオを打ち消す材料は今のところ筆者にはない。ちなみに仮に北朝鮮が崩壊したときに、日本や周辺国はまた特有の試練に直面するだろう。その意味でも今後、北朝鮮問題から目を離すべきではない。