既存情報から都合の良い箇所だけ抽出し、本来の意図を超越して「炎上しそう(=アクセス数が伸びそう)」なタイトルや憶測キャッチで、「釣る」という仕組みは、今日のネットメディアのビジネスモデルを象徴するテクニックでもある。

 しかし、このテクニックは、コンテンツ(=芸能人)の側が利用している場合もあるため、それを不用意に批判することができないという難しさもある。それに対し、ロンブー淳氏のような人気芸能人による、コンテンツの立場から正面切った問題提起の登場は、これからのネットメディアのあり方を考える上では貴重だ

お笑いコンビ、ロンドンブーツ1号2号の田村淳(左)と田村亮
お笑いコンビ、ロンドンブーツ1号2号の田村淳(左)と田村亮


 自分たち(=芸能人やコンテンツ)も利用しているテクニックの負の側面を「ネットメディアの問題」として展開する指摘や批判は、ともすればブーメランとして自らに跳ね返る極めてリスキーな行為である。清涼飲料水のCMに出ているタレントが、清涼飲料水の有害性を主張するようなものだ。その是非はさておき、リスクを負ったロンブー淳氏の勇気は評価に値するし、何よりもコンテンツの側の発言としての信頼性も高まる。

 その一方で、筆者としては、そんなロンブー淳氏らに見られる「コンテンツ側からの指摘」の中に、なんとも言えない違和感を感じることもある。なぜなら、「噂や憶測」の横行や二次情報記事、匿名による「闇討ち」といったロンブー淳氏のネットメディア批判が、いずれもネットメディアに限った問題ではないからだ。

 マスコミ、特に芸能情報やゴシップというものは、ネット社会以前から、常に噂をきっかけに、書き手やメディアの側の憶測や恣意性によって「創作」され、「加工」され、「編集」され、そして「捏造」されてきたものである。誤解を恐れずに書いてしまえば、「噂と憶測のエンターテインメント」と言っても良いかもしれない。
 
 例えば、江戸時代の大衆新聞である「かわら版」でも、1722年(享保7年)に幕府から「筋無き噂事」を記事にした読売(かわら版)の禁止令が出されている(「江戸町触集成」)。ようは、不確実な噂や憶測の新聞(かわら版)を売ってはならないという法令だが、こういった法令が出されたということ自体、そういう新聞が横行し、当時の社会問題になっていた、ということだ。