メディアによる事実の「恣意的な編集」や「意図的な誤解」、「逆張りの拡大解釈」などは、今に始まった話ではない。その誕生から、常にメディアはそうであり続けてきた。これは今日のテレビや新聞などでも少なからず当てはまることであろう。見方を変えてみれば、それがメディアの本質でもある。そしてネットメディアも例外ではない。ただそれだけのことだ。

 もちろん、批判のテクニックとして「ルールや規制の有無は大きい」とか「既存メディアは匿名ではない」という既存メディアとネットメディアの違いを指摘することはできるかもしれない。しかし、それでさえ程度問題に過ぎない。

 ルールや規制があろうがなかろうが、週刊文春の「文春砲」は放たれるのだ。学術論文やルポルタージュのような署名記事でもない限り、芸能情報やゴシップ記事は、よほど有名な芸能レポーターやライターでもない限り、事実上「匿名」のようなものだ。悪質なネガティブ記事の時だけペンネームを使うといったテクニックも日常茶飯事だ。もちろん、記名だから内容に信頼性が高まるわけでも、攻撃力が下がるわけでもない。

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 ロンブー淳氏により展開されるネットメディアへの問題提起や批判は、いずれも「そういったネット社会の現実」を受け入れた上で、それとどう向かい合い、どのように使い、どうコントロールし、また、その中でどう振る舞うか、という今日コンテンツの側に問われている問題とも重なる。筆者としては、その部分こそが、今後のネットメディアを考えて上で重要な論点になってゆくと考えている。

 既存メディアとネットメディアを対比して、ネットメディアとネット民の未成熟さを前提に論陣を張ったところで、「ネットで俺の悪口書くんじゃねぇよ」という次元を超えることはできない。

 筆者自身、ネットメディアはもとより、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌など、様々なメディアで発言し、情報発信をしてきた「コンテンツ」でもある。それが時に、ネットで意図的に悪意ある解釈をされて拡散されたり、想定外な一人歩きから批判されることもある。しかし「そういったネット社会の現実」を受け入れることも含めて、ネットメディアを利用した情報発信を選択することなのである。もちろん、「そういったネット社会の現実」を受け入れることができなければ、それでも良い。ネットメディアに関わらないコンテンツという選択肢だって不可能ではないのだから。

 ロンブー淳氏には今後、コンテンツとしてのネットメディアの関わり方、向かい合い方について突っ込んだ発言していってほしいと期待している。人気芸能人であるだけに、他の人にはないリアリティがあるはずだ。