このように、慰安婦像設置が市の記念碑ポリシーに反し、豪州の多文化主義に反していても「有権者の横暴」の前にあっさり折れてしまったのである。我々が「住民の意思」として反対活動を展開しなければ、いとも簡単に建ってしまっていただろう。我々が学んだ最大の教訓は、民主主義社会とは決して自動的に良識に添った判断が享受される社会ではなく、正義を実現するために戦う手段が用意されているに過ぎない、ということだ。戦わずして正義は守れない。力なくして正義は実現できない。いま、日本人にその覚悟はあるか。

 私がよく行く東京・下町の歴史ある商店街でも、歩いているとやたらと中国語が耳に飛び込んでくるようになった。廃業する商店が後を絶たず、家主が中国人に貸し出してしまうからだ。
(写真はイメージです)
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 これはその商店街の床屋で聞いた話だが、ある日、商店街会の会長が、中国人が経営する店に「会費を払って会員になって欲しい」と頼みにいった。しかし、応じた中国人は「我々は中華系住民のために商売をしているのだから、日本人の会に入る必要はない」と突っぱねてきたという。その後、この会長はどういう対応をしただろうか。なんと、「では会費を安くするから入ってくれませんか?」と頼みにいったという。もちろん、これも蹴られた。会長さんは困って区役所に相談に行ったが、「税金ではないので、強制的に徴収できません」と言われるだけだったらしい。この逸話はまさに、日本人が移民をコントロールする能力が完全に欠如した証左と言っても過言ではないだろう。

 私は床屋の主に言った。「会長さんに伝えてください。懇願したら逆効果です。媚びる弱者と見下されるだけです。中国人の代表を訪ねてこう言うのです。この会費には街灯代が含まれている。払わないなら、君たちの店の前にある街灯からは電球を外すが、それでもいいかと」。もちろん、本当に外すつもりで臨まなければならない。また、区議会も「商店街で店舗を賃貸に出すときは、商店街会費も家賃とともに徴収し、納入しなくてはならない」という条例を作ってしまえばよい。

 すぐに頭を下げてしまう日本人は、数で劣勢になった途端に簡単に凌駕されてしまうだろう。外国人に地方参政権など与えようものならどうなるだろうか。移民国家の豪州でさえ、帰化しなければ選挙権も被選挙権も与えられないのに、長く住んでいるという理由だけで参政権を与える愚かな国は、世界を見渡しても日本ぐらいである。