しかし、子供が小学校中学年以上になれば、それまでに比べて随分仕事との両立が可能になる状況が増えてくる。それは子供の帰りが遅くなったり、子供が自分自身でできることが増えてくるので、物理的に余裕ができるということでもある。とはいえ、まだ小学生は幼く、いざという時の判断はできない。そう考えると、ちょっと楽になったことに油断して、軸足を仕事へ移すと、子供は一気に悪い方向へ進んでしまう。ここで気を緩めず、母親としての軸足をずらさないことが重要であるのだ。

 母親の心配は尽きないもので、中学生になったらなったで、高校生は高校生で、その時々の母親としての役割に自分の存在意義を見出そうとするのかもしれない。時期的にはそこへ親の介護の問題が覆いかぶさってくる。介護はすべての人がその負担を経験するものでもないが、長寿社会の日本においては、育児と介護のダブル負担の問題は益々深刻化していくだろう。

 子育ても介護も、別に女性だけの役割ではないし、特に介護は力仕事も多く、男性の協力は子育て以上に欠かせない。しかし、私が根本的に男女の役割の違いがあると思うのは、子供や親への対処の仕方が全然違うからだ。

 女性、つまり母親は目の前にあることへの対処能力が高い。食事の支度をしながら、子供の勉強を見たり、親からの電話に対応したりしても、家の中のことは、常に同時多発的に起こる場合が多いが、それも何とかこなしていくことができる。食事の支度ひとつをとっても、片方で煮物をしながら、片方では炒め物をするなど、そもそもが同時進行の連続なのである。子供のちょっとした表情や顔色の変化に気づくのも、母親の能力として重要なところである。

 一方、男性は、一つのことに集中して高い解決能力を発揮する。子供との勉強や遊びにしても、子供と同じ目線で徹底して、集中して行うことができるのだ。また目の前にあることだけでなく、もっと広い視点から物事をとらえることができるのも、女性にはなかなかできないことでもある。
 もちろん、個人差はあるし、ひとり親世帯では両方の役割をしなければならないことが多いとはいえ、父親と母親が同じ能力で同じ役割でよいのなら、そもそも男女の違いがあることにすら意味がなくなってしまう。

 私は配偶者控除の事を考える時、女性の家庭での役割の重要性をもっと考えるべきであると思う。特に昨今の配偶者控除廃止の議論は、女性を労働力として活用したいという産業界の都合だけに立っていることに、相当の違和感を覚える。

 確かに、日本の経済力の縮小により、夫婦共働きが避けられない状況を抱えている家庭も多い。また、家族の形態が多様化している中で、世帯単位の考え方を再考する余地もあるだろう。高い能力を持った女性が、社会でその能力を発揮できないことは「社会的損失」であるというのも、分からないこともない。

 しかし、女性は一度母親となったのならば、その役割や責任は、仕事の有無で変わるものではない。そう考えると、母親としての時間を大きく削ってまで社会に出ることが、特に子供にとって、本当に幸せなことなのかどうかは女性の活躍に関心が高まる今こそ、改めて考えるべきである。女性の能力は家庭においてこそ、発揮される場合も多くある。

 時期はあるにせよ、母親と子供を引き離すような制度をあえて作ることが、社会の在り方として本当によいのか、母親の立場から再考を促したい。