親米路線が大前提である以上、戦後日本の保守は、アメリカの意向や利益に反しない範囲でしか、自国の歴史や伝統を肯定できないのだ。言い換えれば彼らのナショナリズムは、しょせん条件つきのものにすぎない。のみならず「昭和の戦争」において、わが国はアメリカを相手に総力戦を繰り広げたのだから、これは戦前を(あからさまに)肯定してはいけないことを意味しよう。

 要するに「自国の歴史や伝統を肯定すること」と、「現実的な姿勢で物事に対処すること」が、根本で両立しえなくなってしまったのである。この経緯や構造については、2月に刊行した『右の売国、左の亡国 2020年、日本は世界の中心で消滅する』(アスペクト)で詳細に論じたので、そちらもぜひご覧いただきたい。
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 だとしても現実主義の名のもと、自国の歴史や伝統をないがしろにするようでは、保守も何もあったものではない。ゆえにナショナリズムと戦前の双方について「頭ごなしに否定しようとする左翼・リベラル的な姿勢には反対する一方、あからさまに肯定するのも『行き過ぎ』として慎む」というのが、戦後保守、少なくともその主流派のスタンスとなった。

 自民党の参院議員である片山さつき氏の言葉にならえば、「オーソドックスな保守派」は「日本の良さをきっちりと戦前に回帰しないで言おうとする」ために、さんざん神経を使うハメに陥ったのだ。腰の定まらぬ態度と言えばそれまでだが、そうでない限り、「歴史や伝統の肯定」と「現実的な姿勢」の間でバランスが取れないのだから仕方あるまい。片山氏の発言自体、「きっちりと」という語句が「戦前に回帰しない」にかかるのか、「言おうとする」にかかるのか、構文が曖昧になっていた。(https://abematimes.com/posts/2125532

 余談はさておき、ここまで来れば、森友学園騒ぎが保守勢力を揺るがすインパクトを持つことは明らかだろう。同学園が運営する「塚本幼稚園」では、運動会の宣誓で園児に中国や韓国を批判させたり、あるいは教育勅語を教え込んだりと、ナショナリズムや戦前をあからさまに肯定する教育方針が取られていると伝えられる。
森友学園が建設中の「瑞穂の国記念小学院」=大阪府豊中市
森友学園が建設中の「瑞穂の国記念小学院」=大阪府豊中市
 「オーソドックスな保守派」にとって、これは寝た子を起こす振る舞いである。常識的に考えて、幼稚園児が運動会で他国に文句をつけるのは行き過ぎのそしりを免れない。ちなみに戦前も、日露戦争当時の政府は「日本とロシアは国際的な利害対立によって戦っているが、日本人とロシア人の間に個人として怨恨があるわけではないのだから、いたずらに相手を罵倒するような真似は大国の民として慎むべきだ」という趣旨の態度を取った。

 だが、森友学園のような姿勢を頭ごなしに否定するのも、「ナショナリズムはダメ」「戦前は悪しき時代でしかなかった」という風潮に塩を送るようなものではないか。同学園のスタンスは、戦後保守が「歴史や伝統の肯定」と「現実的な姿勢」の間でどうにか保とうとしてきたバランスを揺るがしかねないものなのだ。片山氏が籠池理事長について、「全くバランスの欠けた人」と批判したのも、無理からぬ話だろう。