首相夫人は「安倍昭恵」という自我に目覚めた典型的な意識高い系

『古谷経衡』

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古谷経衡(著述家)

 大阪府豊中市の一介の小学校認可を巡る問題に過ぎなかった森友学園疑惑が、「忖度」などという言葉を用いて安倍政権と関連づけられて語られるようになったのは何故だろうか。それは、一にも二にも安倍昭恵夫人(以下、昭恵夫人)が同校の名誉校長に就任していた事実がWEBサイトに掲載されていたからである。

 若しこれがなく、昭恵夫人が同校への講演を行うのみにとどまっていたらならば、「反安倍」勢力の攻撃は安倍総理にやはり及んでいたには違いないだろうが、ここまで全国的な騒動に発展することはなかったであろう。むしろ許認可に関係した大阪の維新関係者等との問題でしかなかった森友疑惑が安倍政権に及んだのは、ひとえに昭恵夫人の軽佻浮薄とも思える同校の名誉校長就任にすべての因があると断定して差し支えない。そう考えると、この問題における昭恵夫人の「罪」は一等である。

 昭恵夫人とはいったい何者なのか。それを探るべく彼女の著書を読み込んでみると、読めば読むほど昭恵夫人が典型的「意識高い系」であることが判明してくる。私は先月、『意識高い系の研究』(文藝春秋)を上梓した。ここでの「意識高い系」の定義とは、「コンプレックスが故に他者への承認に飢えた卑小な自意識の怪物」としている。そしてその「意識高い系」が掲げるフレーズは、必ず具体的ではなく「笑顔」とか「環境」などという、抽象的で多幸的なものだ。この定義に、昭恵夫人は見事にあてはまる。
安倍晋三首相について語る安倍昭恵夫人
 2015年に海竜社から刊行された安倍昭恵著『「私(わたくし)」を生きる』の中にその端的な答えがある。第一次政権時代、昭恵夫人は夫(安倍晋三)の言う世界に対し無批判で、夫の後に三歩遅れてついてくることを善とする「古いタイプ」のファーストレディであった。

 しかし、それが一変するのがくしくも第一次安倍政権が下野した時の事である。昭恵夫人は同書の中で、「学歴コンプレックスがあった」と告白。「安倍晋三夫人」として世界各国のファーストレディと渡り合う中で、「私には学歴も中身も何もない(昭恵夫人は専門学校卒)」と恥じ入り、遅ればせながら猛烈なコンプレックスを自覚したという。

 昭恵夫人の転換はここから始まる。社会人入試で立教大学大学院に入学、その過程でミャンマーの農業支援に夢中になり、「土」に異様な執着を見せる。昭恵夫人が自ら経営する山口県の有機農産品を使った居酒屋「UZU」の開店計画が持ち上がるのもこの時期である。そこには「土」という共通項があるものの、首尾一貫した理論性は存在しない。ただあるのは「意識高い系」の連中に典型的なように、「抽象的で多幸的な概念」に酔いしれる自分への陶酔と、そしてその陶酔の姿を他者に喧伝することで得られるお手軽な承認への快感である。

 昭恵夫人は夫が下野中、猛烈に「自分探し」を始める。作家・曽野綾子の先導で、世界の様々な国を渡り歩いた。それまで「安倍晋三の夫人」としてしか位置付けられていなかった昭恵夫人がはじめて「安倍昭恵」としての自我に目覚めたのである。それまで、無名の仮面をかぶっていた昭恵夫人が、「安倍晋三の夫人」ではなく、「安倍昭恵」として承認されることを欲するようになっていく。

 昭恵夫人のフェイスブックIDには、彼女が何か投稿するたびに、保守的な傾向を持ったユーザーから大量の「いいね」が届けられるようになる。当然その中には批判のコメントもあるものの、フェイスブックの馴れ合い社会の中では承認の比重の方が高い。昭恵夫人は同書で記述されるように、「エゴサーチ」を繰り返して一喜一憂する。一日何時間もネットに張り付いていた時期もあったという。それまで他者からの評価に無関心だった昭恵夫人が、自我に目覚めたが故の「承認の確認」を繰り返し始めたのだ。「コンプレックスが故の猛烈な承認欲求」。典型的な「意識高い系」の前衛を安倍昭恵は突き進んでいく。

 2012年、劇的な自民党の政権復帰と第二次安倍政権誕生後も、承認の塊になった昭恵夫人の暴走はとどまるところを知らない。前述「UZU」の経営は継続し、脱原発運動への傾斜、真珠湾(夫より早い)単独訪問、三陸の防潮堤反対、そして医療大麻解禁を主張したり、異様な「土」への固執…。

 2015年7月28日、昭恵夫人は被災地気仙沼で「バーベキューパーティー」を開く。コンセプトは「みんなで海を楽しみながら考える」―。如何にも「意識高い系」の連中が考えだしそうな、如何にも社会的大義を隠れ蓑に卑小な承認を満たす軽佻浮薄なイベントの主催者が昭恵夫人であった。総理夫人が被災地でバーベキューをする、となれば否が応でも著名人見たさに地元の人間が集まってくる。そこで安倍夫人は「総理大臣の妻・安倍昭恵」としてチヤホヤされ、つかの間の承認が満たされ、面目躍如といったところであろう。

 このイベントにおける昭恵夫人の感想。「…環境と景観の重要性を私たちはもっと真剣に考えなくてはならないと本当に思います。ショックではありましたが、やはり私自身の「目」でいまをしっかりと見ることが大切だと実感しました」(前掲書 P.76)。「みんなで海を楽しみながら考える」という、本来の主語が「みんな」だったのが、いつのまにか「私」に置き換わっている。何のことはない、「安倍昭恵が海を楽しみながら考える」という昭恵夫人の自意識に、被災地の人々が付き合わされたのだ。
米フロリダ州に到着し、大統領専用機から降りる(右から)トランプ大統領、安倍首相、昭恵夫人、メラニア夫人=2017年2月
 昭恵夫人の世界にあるのは徹底的に自分であり、その活動の実相は常に抽象的で多幸的であり、具体的ではない。具体的なことを考えたり提言したりする必要はない。「抽象的で多幸的な概念を唱えている自分への承認」こそが目的なのだから、三陸地方をどう復興させていくのかとか、原発に代わるエネルギーの具体案とか、そういったものへの関心は極端に薄い。他者からの視線と承認に快感を覚えだした昭恵夫人の端的な世界観が、この「三陸バーベキュー」に滲み出している。典型的な「意識高い系」である。

 一連の森友学園問題で、昭恵夫人が名誉校長というお飾りの要職を二言返事で受けてしまった因も、「安倍晋三の夫人」ではなく、「安倍昭恵」としての自我が芽生えた昭恵夫人による暴走の帰結である。森友学園の教育方針に共感する、というのも実を言うと「家庭内野党」を自称する昭恵夫人にとってなんら矛盾していない。

 「子供たちの教育と日本の未来」などとう抽象的で多幸的な世界観を提示されれば、元々思想もイデオロギーも持たなかった昭恵夫人が幼児に教育勅語を暗唱させることのイデオロギー的な是非を判断することは困難である。単に「規律ある幼児の学び舎」として映ったにとどまったのであろう。豊中にある小学校の名誉校長ともなれば、また「安倍晋三の夫人」ではなく、「安倍昭恵」として承認される肩書が一つ増える。たとえそれが虚飾にまみれたものであっても。森友学園問題が安倍晋三総理に繋がったのは、このような昭恵夫人の軽佻浮薄な承認欲求からすべてが始まっている。

 2016年参院選東京選挙区に出馬して落選した活動家でミュージシャンの三宅洋平を総理公邸に招聘せんとした昭恵夫人は、「自称社会起業家」の若者らに囲まれて三宅と同席した写真をフェイスブックにアップロードしたのは同年7月の事であった。その写真を見てぞっとした。昭恵夫人を中心に、「社会起業」などとのたまう「若者」連中と輪になって多幸的な笑みを浮かべ、「みんなちがって、みんないい」と締めくくっている。私がフェイスブックの中で何百、何千回と観てきた「意識高い系」の人々が競うようにしてアップロードする、「自分を被写体の中心に置いた多幸的な飲み会の写真」の教科書のようなショットだった。

 実を言うと昭恵夫人には脱原発も三宅洋平にも興味はないのかもしれない。ただ「夫(安倍晋三)とは違う政治思想を持った人々とも、対等に対話できる自分ってすごいでしょう」という、コンプレックスが故の歪んだ自意識の道具の一つとして、無数のフェイスブック・フレンドやフォロワーからの「いいね」という承認を期待しての行為だったのであろう。そしてその期待は見事に成就する。

 通常、「意識高い系」は、大学生や新社会人など、若年層に好発する特有のコンプレックスの転写だと思われている。しかし時としてその中には、齢50歳を過ぎて後発的に自意識に覚醒する「意識高い系」も存在する。人生のほとんどの期間を「承認」と無縁に過ごしてきた人間が、後天的に承認欲求の怪物となった場合、その反動は若年層よりも鬱屈とした時間の積み重ねが長い分、より重篤になりかねない。

 純粋な承認欲求の塊であるがゆえに、「昭恵夫人が100万円を籠池氏に渡した(寄付した)」という所謂「籠池証言」は、昭恵夫人が典型的「意識高い系」であることを勘案すると、その信ぴょう性が揺らぐのがわかるであろう。昭恵夫人は不特定多数の世間から承認されたいのであって、籠池個人から承認されても意味がない。「おつきの人を人払いして密室で籠池に100万円を渡す」という行為は、「他者に自慢できぬ」が故に、実は昭恵夫人のような「意識高い系」の人々にとってすれば何の意味のない行為だからである。
講演する安倍昭恵夫人
 「意識高い系」の人々が行う寄付行為は、「わたし、被災地のために〇〇のチャリティーに参加しました!」と他者への喧伝と常に対になって存在している。公に語ることができない寄付行為に、昭恵夫人は意味を感じないはずだ。名誉校長への就任だけで十分にその承認欲求は満たされたはずである。よってこの部分で昭恵夫人はシロだと思うが、根本的には後発に「意識高い系」と化した昭恵夫人の心の中にある根本的な「承認欲求」という病巣は、今後も色々な形で発露されていくのではないか。政権最大のリスクとは昭恵夫人自身である。

 「妻は夫の後を三歩離れてついていけ」という家長権的押しつけを言うのではない。自分の承認欲求のために国家権力を笠にするな、と言いたいだけである。総理の妻、G8という世界の大国の一角を占める国の首相夫人という立場だけに、まっことタチの悪い「意識高い系」である。


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