昭和までの元号は、天皇が自ら決定し、そして、崩御の後には諡号となるものだった。これに対して、平成以降は、天皇自身が決定できない。それにもかかわらず、おそらくは、崩御の後には諡号となり残されていくことになるだろう。

 自らの諡号を自身では決定できなくなった存在としての平成。これについては、昨夏以降、また一つ別の課題が浮上している。それは、天皇という立場から退位や譲位という形で皇位を継承した後、どのようにお呼びするのか、という敬称についてである。

 現在、上皇という敬称の検討が報じられている。では、「平成上皇」といった敬称を、天皇ご自身はもちろん、象徴として頂く日本国民は、どう捉えたらよいのだろうか。

 こうした敬称の問題を例にとってみても、まだまだ私たちは歴史からたくさんのことを学べるに違いない。次の元号についてオープンに議論するとは、そうしたさまざまな知見をできる限り動員することに他ならない。すると、政府は、次の元号についてパブリックコメントを行わないことを検討しているとも報じられているが、現在のメディア環境が、そうした方針を是認するか否かは不透明である。

天皇陛下の譲位をめぐる有識者会議の第10回会合=3月22日、首相官邸
天皇陛下の譲位をめぐる有識者会議の第10回会合=3月22日、首相官邸
 次の元号をめぐっては、既にテレビや新聞、雑誌、さらにはネット上で、多くの言葉が飛び交うことによって、オープンな議論が進んでいる。この小論もまさしく、その一環だ。繰り返しになるが、こうした「タブーなきオープンな議論」こそ、平成と昭和の差にほかならない。

 現在の元号は、日本国憲法下での元号法という、紛れもない近代的な法体系に位置づけられている。それと同時に一世一元、という明治初期の原則を保っている。すなわち、元号法は、近代でありながらも、近代よりも前の思想を同時に持っている。この元号法という存在を、私たち日本国民が、いかに捉えるのかが試されている。

 こうした点で、平成から次の元号への代替わりにおいては、近代と、近代よりも前との関係について、私たちの受け止め方、捉え方、そして意志が、問われている。

 近代と、近代よりも前との関係をめぐる問い。この問いは、天皇や皇族という、近代よりも前からの存在に対して、「人権」というまぎれもなく近代的な要素をどのように接合するのか、という問いと同義であることは言うまでもない。

*本稿の参考文献等を含めて、拙稿「改元をとおしてみた天皇 「昭和」改元と「平成」改元の比較分析」(『日本研究』第54集、国際日本文化研究センター、2017年)が、下記のURLから閲覧・ダウンロードできます。