一方、日本をめぐる国際情勢は激変していた。1949年には支那満洲が共産化し米国の極東政策は失敗し、米国は支那満州から駆逐された。これにより米国は日本の国防費節減のため日本政府に再独立、再軍備を要求した。このため50年の日本の左翼運動の主要目的は日本の独立阻止(=占領継続)のサンフランシスコ条約反対となり、元号廃止運動は立ち枯れとなった。

 50年に朝鮮戦争が始まると日本の正常化はさらに進んだ。53年の池田・ロバートソン会談では、米国は池田に再軍備と日本人の愛国心の回復を要請した。こうした状況で60年代から元号を法的に確保したいという国民の動きが始まった。66年には神社新報は元号の法制化を呼びかけた。賛同の署名が全国から10万単位で集まり、自民党に圧力をかけた。76年、総理府総務長官は、元号を閣議決定し内閣告示をすると述べた。

 78年には元号法制化実現国民会議の呼びかけに応じて全国から2万人の国民が日本武道館に集まり、元号の早期法制化を決議した。評論家の清水幾太郎は「我々は敗戦で大切なものを次々に失った。これからは回復して行こう」と演説し、満場の拍手を浴びた。
元号法制化実現国民会議の呼びかけに応じて全国から2万人が集まった日本武道館
元号法制化実現国民会議の呼びかけに応じて全国から2万人が集まった日本武道館
 この時、再度国会に参考人として呼ばれた坂本太郎教授は、概略以下のように述べた。

 「今は30年前の元号反対派が優勢を占めた時代とは状況が変わり誠に感慨深い。元号制度を持つのは今や世界で日本だけである。これは無形文化財であるから大事にしたい。

 そして元号は歴史的遺物と違い日本人の心に実際に生きている。元号は天皇と国民を結ぶ絆である。元号は新天皇が国家の繁栄、国民の幸福を祈って定めるものであり個人的なものではない。改元は国民には精神一新の効果がある。日本の固有の元号は国家独立の証拠である。西暦主義者は国際的というが、独自性があってこそ初めて国際的といえる。西暦は使いたい人は使えば良い。

 ただし、日本の国の正式の紀年は絶対に西暦であってはならない。西暦は所詮キリスト教暦である。西暦の強制は信教の自由を侵すことになる。反対者は、いつも神道には目くじらをたてるのにキリスト歴に沈黙するのは二重基準で不正である。明治時代は日本人にとって偉大な時代であった。これを西暦の数字で表現すればナンセンスになってしまう。何でも一本化するというのは良くない。年の数え方も複数あってよい」

 そして79年、政府は元号法案を成立させた。その趣旨は元号の法的根拠を明らかにするという簡単なものであった。ただし、元号擁護派には元号は本来天皇がきめるものだから、政府が元号を決めるのは正しくないという意見もあった。しかし、占領憲法との整合性から元号確保を優先して決めたものである。

 元号法反対派の意見は「主権在民の憲法にそぐわない」「国際交流に不便だ」「天皇の政治利用になる」の3点だった。

 民主主義論による元号反対については、民主主義の理解が違っている。政府は民主主義を共同体の意思決定の方法として理解しているから、民主的な議会制度による手続きで決まったのだから元号は民主的であるという意見であった。だが、野党は国民主権だから天皇に属する元号で国民を拘束するのは間違っていると主張した。しかし、国民主権といっても国民各人に主権があるわけがない。個人は外国と協定を結ぶことは出来ないからだ。共同体の代表者だけが主権者である。