それから10年後の昭和64(1989)年1月7日朝6時半、天皇(87歳)が崩御されると、10時半に皇太子(55歳)が「剣璽等承継の儀」を経て践祚された。すると政府は、直ちに、あからじめ用意した元号案(三つ)の中から最良の「平成」に決定し、午後2時ころ公表しえたのである(改元の政令は、天皇が国事行為として署名された上で公布され、翌8日午前零時から施行する措置がとられた)。

 その出典は、従来と同じく漢籍に拠り、『史記』の「内平らかに外成る」および『書経』の「地平らかに天成る」から二字を取った。しかもこの新元号は「国の内外にも天地にも平和が達成される、という意味」をこめたものと公表されている。

キリスト紀元を「西暦」と称して併用


 このように1300年以上の歴史をもつ日本の年号=元号は、いまなお公的制度(「元号法」という法律に根拠をもつ)として存在する。従って、戸籍や出生・婚姻・死亡などの届け出書類、公的な免許証、郵便局・銀行などの通帳など、いずれも元号で統一される。

 しかし、一方で21世紀に入るころから、いわゆる西暦を使う人がだんだんふえてきた。全国紙をみても、「元号(西暦)」の欄外標記は今や産経だけしかなく、他は「西暦(元号)」としてあり、本文記事はほとんど西暦となった。これは、いわゆるグローバル化の進む現在(今後も)、西暦の方が前後の通算にも内外の比較にも便利だからであろう。

 とはいえ、誰も平気で「西暦」というが、その本質はキリスト生誕紀元である。現に歴史の教科書などで「BC」「AD」と書くのは「Before Christ」(キリスト以前)「Anno Domini」(ラテン語で主の年より)の略称にほかならない。
 このキリスト生誕紀元は、AD525年、ローマの神学者ディオニュシウスにより提案されたが、キリスト教圏でも普及するのは10世紀以降であり、キリスト教を奉ずるヨーロッパ諸国の植民地拡大などに伴い、世界の多くで使われるようになった。

 わが国には、16世紀後半にイエズス会(カトリック)の宣教師らによりもたらされ、いわゆる切支丹版の書物刊行年は「AD」で記されている。また、京都の妙心寺にある著名な塔頭(たっちゅう)、春光院には、かつて「南蛮寺」にあった釣り鐘(国の重要文化財)を所蔵するが、「IHS」(イエス・人類の救い主 Iesus Hominum Salvatorの略、イエズス会の徽章)と共に「1577」と刻まれている。