このキリスト紀元を「西暦」ないし「西紀」と証した初見ははっきりしないが、『日本国語大辞典』などによれば、明治2(1869)年に村田文夫(本姓野村)の著した『西洋聞見録』前編に「某皇暦某月々は西暦の某月々たるを知るべし」とある。また翌3年ころ仮名垣魯文の著した『西洋道中膝栗毛』六篇に「頃は西洋紀元千八百七十年」とみえる。

 ただ、それが日本の紀年法として公認されたことはない。むしろ『西洋聞見録』のいう「皇暦」は、『日本書紀』の神武天皇即位紀元(略称「皇紀」)であるが、明治元(1872)年の太政官布告に「今般、太陽暦御頒行、神武天皇御即位を以て紀元と定めらる」とあり、同31(1898)年の「閏(うるう)年」に関する勅令も「神武天皇即位紀元年数の四を以て整除し得べき年を閏年とす。…」としている。

 もちろん、皇紀は史実と数百年のズレがある(私は神武天皇の実在を認めるが、その即位をBC660年に設定したことには無理がある)。従って、今日これを日本の紀元として公用することは適切でない。とすれば、元号以外ではキリスト生誕紀元を「西暦」と称して併用するほかないであろう。

1989年1月7日、「新元号は平成」を報じる電光掲示板
=東京・新宿駅東口
 しかも、このような元号と西暦の併用には、それ相応の意義がある。前述の通り、日本の年号は、漢字文化として時代の理想を表明し、とくに一世一元の元号は、「国民統合の象徴」と憲法に定められる天皇の在位年数を明示するシンボルである。また、後から振り返れば、「明治時代」とか「昭和時代」というように、その時期の雰囲気を良く表す。一方、いわゆる西暦は、既に世界の大半で(キリスト教国以外でも)使われており、一本の物差し(長尺)として目盛りの年次を特定し、前後の年数を通算するにも便利なことが多い。

 つまり、今や日本にしかない元号は、独立国家の文化的シンボルとして大切にしながら、世界的広がりをもつ西暦を文明の利器として併用することが、独自性と普遍性を併せもつ日本人には必要な知恵だと思われる。私はこれからも、無機質な数字の西暦を活用すると共に、表意的な漢字の元号を常用し続けたいと考えている。

 尚、詳しくは編著『日本年号史大事典』および単著『年号の歴史-元号制度の史的研究』(共に雄山閣刊)を参照していただきたい。