戦力の逐次投入が戒められるのは、投入される戦力が小規模であればこのように待ち構えられて各個撃破されてしまうからである。それを避けるためには敵情の把握、すなわち情報活動が必要だが、現代においては偵察衛星の発達によってかなり正確な把握が可能になった。

 しかし、いかに情報が正確であろうと、適切な戦力を適時、的確な場所に運搬できなければ敵に勝利できない。すなわち、いかに大量の戦力をいかに短時間に敵の中枢部に投入できるか、これこそが戦力投射能力の本質である。

米海軍の原子力空母カール・ビンソンの甲板に並ぶ艦載機
=3月15日、韓国・釜山(共同)
米海軍の原子力空母カール・ビンソンの甲板に並ぶ艦載機 =3月15日、韓国・釜山(共同)
 ニミッツ級空母カール・ビンソンは、航行距離にして1200キロを一日で海上移動し、500キロ先の敵に3日間で2千トンの弾薬を投入する能力がある。昭和20年3月の東京大空襲で投下された爆弾が一晩で3千トンであり、その時の犠牲者は約10万人である。精密誘導能力が格段に向上した現在、2千トンの弾薬は、一大都市はもちろん、敵の軍事要塞を壊滅させるのに十分であろう。

 ちなみに東京大空襲の爆撃機は「B29」300機であるが、これはサイパン島の飛行場から飛来した。B29は長航続距離を誇る重爆撃機であるが、それでも米本土から日本に直接飛んで来ることはできなかった。つまり南太平洋のサイパン島に飛行場を造らなければ、日本の空爆は不可能であった。

 当時、サイパン島をはじめとする南洋諸島は日本領であり、米軍がここを占領したのは昭和19年7月。つまり、米軍はサイパン島に到達するのに開戦以来、2年半の月日を費やしている。もちろん、当時の米国にも空母はあり、現に東京初空襲は昭和17年4月に空母から発進した爆撃機によって行われている。

 だが、この爆撃は極めて限定的であり、日本の警戒の目を盗んで行われた「奇襲」であって、壊滅的な打撃を与えるのは不可能だった。つまり、当時の米海軍は東アジアに対する戦力投射能力を持っていなかったのである。

 カール・ビンソンは北朝鮮周辺に向かうと堂々と宣言して航行しているが、もし大戦初期に米空母がこんなことをしていたら、日本の航空戦力と潜水艦によって海の藻屑と化すことは間違いなかった。カール・ビンソンがなぜそうならないかといえば、周りを巡洋艦、駆逐艦、潜水艦で固めているからであり、北朝鮮のミサイル攻撃や魚雷攻撃をも撥(は)ね退ける能力を有しているからである。

 つまり、空母はいかに優秀でも1隻では、身を守ることはできない。したがって、「空母打撃群」という艦隊で行動することになる。空母の戦力投射能力とは、空母そのものの能力に加えて偵察衛星の情報収集力さらにはそれを伝達する通信網、艦載機や、その他の艦艇の性能を掛けあわせて得られるものであり、そのいずれかがゼロである場合、答えは「ゼロ」となるのである。