第2に、金正恩体制の今後を含めて朝鮮半島の将来に係る構想は、日本としても準備しておく必要がある。米国政府は、「金正恩体制の転換を求めない」と既に表明しているけれども、それは、対朝宥和(ゆうわ)の表明ではなく、「体制転換の結果、中朝国境が混乱する事態はあえて起こさない。ただし、中国は確実に北朝鮮に圧力を加えよ」ということを趣旨とする対中督促の意味合いが濃い。

 米国政府は、「体制転換を求めない」としたところで、現状のままでは北朝鮮が望むような「直接交渉」に応じる余地は、皆無であろう。中国政府は、金正恩体制を国際社会の規範に恭順させる趣旨での「6カ国協議」の枠組みの復活を期待している節があるけれども、過去二十数年に及ぶ北朝鮮の背信に接した日米両国には、そうした政策方針は受けいれ難いであろう。

今後の半島の可能性を吟味せよ


 早晩、日本にとっても、「金正恩後の朝鮮半島」を考える局面が来るのではなかろうか。これに関して、米中両国の一部には、米中協調の上で朝鮮半島の「非核化・非金正恩化」を経つつ、朝鮮半島統一を実現させ、その後の朝鮮半島全域を中国の影響下に置くという構想が語られているようである。北朝鮮への対処を主導するのが中国であるという見地に立てば、こうした「米中談合」論はあながち荒唐無稽だともいえまい。

 しかしながら、日本としては、朝鮮半島の北半分に関しては「中国の差配に委ねても構わない」と応じることはできるかもしれないけれども、朝鮮半島全域が中国の影響下に置かれる事態は到底、容認できまい。それは、日本の防衛線が「38度線」から「対馬海峡」に後退する事態を意味するからである。そうでなければ、最低限でも、「朝鮮半島全域が中国の影響下に入るのを認める代わりに、尖閣諸島・竹島を含む日本領には一切の脅威を与えない」旨、中国に確約させるかである。こうした一つ一つの「可能性」を吟味する議論こそが、現下の日本には要請されているのではなかろうか。

 日本の安全保障政策論議には、「病が重篤になってから慌てて病院に行く」風情が漂っている。慌てた議論は、往々にして「火事見たさ」の議論に重なる。どちらも無益な議論である。