これは国際裁判への布石とも考えられる。領土主張の最も有効な根拠は「日常的に経済活動を為す住民の存在」である。4階建ての島民宿舎も完成し、一組の老夫婦も呼び込まれ島民と称する。30人前後の警察官も常駐し「独島警察署」の建物も造築された。岩山の中腹には巨大なソーラー発電パネルも設置されていた。日本が手をこまねいている間に、韓国の不法占拠による実行支配は段階的進行を遂げていたのだ。
2011年、韓国が不法占拠する竹島には多くの観光客が訪れるようになった(山本皓一氏撮影)
2011年、韓国が不法占拠する竹島には多くの観光客が訪れるようになった(山本皓一氏撮影)
 それだけでなく、韓国軍特殊部隊の訓練や有名歌手によるコンサートや、囲碁名人による対局が開催された。2013年には日本の漫画ヒーロー「マジンガーZ」をパクった「テコンV」なる巨大像を「独島のシンボル」として設置する計画もあったが、さすがに国民の猛反対で頓挫した。もうブラックジョークとして笑うしかない。最近も、慰安婦像の設置計画が浮上するなど韓国流の「ゴリ押し不法占拠」がエスカレートしている。

 なぜ、韓国がこれほどまでに竹島に固執し、強硬な態度をとるのだろうか。漁業権や海底資源の確保という理由もあるが、それは大きな問題ではない。秘密の鍵は、50年6月に勃発した朝鮮戦争にあった。北朝鮮が突如38度線を突破して韓国に侵攻、不意を突かれた韓国政府はソウルを放棄し、大田(テジョン)などを経て釜山(プサン)まで追いつめられたのだ。

 釜山の背後はもう海だ。陸と海から挟撃されれば韓国は消滅してしまう。当時の李承晩(イ・スンマン)大統領が戦慄したことは容易に察しがつく。恐怖に震えた李氏の頭に、北朝鮮軍の海からの攻撃をいち早く察知する監視体制の構築が頭をよぎったに違いない。実は日露戦争の当時、バルチック艦隊の早期発見のため、帝国海軍は竹島の山頂に監視所を築き、海軍兵士が常駐させた。李大統領に早期発見によった連合艦隊の「日本海海戦大勝利」が蘇ったことは、想像に難くない。

 戦況は幸いにもマッカーサー元帥による仁川(インチョン)奇襲上陸作戦(1950年9月)の反転攻勢が成功し、国連軍はソウルを奪還、韓国政府は首都に帰還した。

 こうしたなか、日本は51年9月、サンフランシスコ講和条約で主権を回復し、竹島の領土も確認した。これに対し、韓国は52年1月8日、自国側水域に竹島を含ませた李承晩ラインを一方的に宣言した。

 53年7月に朝鮮戦争の休戦協定が結ばれた。韓国が武装した「独島守備隊」を竹島に送り込んだのは、その3カ月前である。休戦協定は終戦協定ではない。第2次朝鮮戦争に備えた軍事行動ではなかったのか。現在、頂上に据えられた大砲の位置はくしくも帝国海軍が作った監視所と同じ場所にある。当初、砲口は北朝鮮側を向いていたが、その後、日本側に向けられたのである。