――ご無念はよくわかります。韓国の窃盗団が観音寺の仏像だけではなく、同じ対馬市の海神神社の「銅造如来立像」や多久頭魂神社の仏教教典「大蔵経」を盗み出し、博多港から韓国南部・釜山港に持ち込んだのは2012年10月です。それ以前に〝怪しい動き〟はなかったのですか。

田中 はい、ありました。私が観音寺の住職になったのはいまから30数年前ですが、ちょうどそのころ、韓国から僧たちがやって来て、「観音寺の仏像は浮石寺でつくられたものだから、返してほしい」といってきた。私は「仏像は500年以上もこの寺で守ってきたものだ」といって追い返したのですが、12年の秋に盗難に遭ったとき、そのことを即座に思い出したんです。そして、あの一味が窃盗に関わっていたにちがいないと確信しました。韓国で窃盗団が捕まったのは翌13年の1月末でしたが、やはりそうだったのか、と。とても奇妙に感じたのは、発見された現場に浮石寺が近かったからです。そして、仏像が韓国で発見されてすぐに浮石寺が、「同像は14世紀に同寺でつくられた」などと主張し、保管する韓国政府に移転禁止を求める仮処分申請を韓国の大田地裁に行なっていたのです(地裁はこの申請を認める)。あまりに手際が良すぎる、というほかありません。どこか裏のつながりを感じてしまいます。

――ちょっと酷な質問かもしれませんが、警備の問題についてもお聞きしたい。もちろん、盗んだ側に非があるとはいえ、セキュリティ(安全対策)に不備はなかったのですか。

田中 じつは観音寺の総代や村の人は、仏像が盗まれる前から「セキュリティに力を入れてほしい」と長崎県にお願いをしていたんです。そもそも仏像を文化財に指定したのは長崎県です。それなのに、県は対馬の文化財の保護にはあまり熱心ではなかった。しかし、対馬で盗難事件が相次ぐと、今度は掌を返したように警備に力を入れるようになりました。それでも盗人が観光客に成り済まして来ると、対馬の人は親切ですし、べつに怪しまれない。近ごろは村の住人も減り、近くにあった交番も移転してしまいました。その状況で事件が起きたのです。

――仏像が盗まれたと知ったときの対馬の人の反応はどうだったのでしょうか。

田中 村の大切な仏様を盗むとは何事かという、素朴ですが強い怒りに満ちていました。ヨソからきた窃盗団がズカズカとお寺のお堂に入って、何百年も祖先が守ってきた仏像を強奪していったわけですから。韓国に対して返還を求める署名もたくさん集まりました。対馬の人びとだけでなく、ネット上の支援組織を通じて全国から署名が集まりました。ほんとうに感謝しています。