――観音寺のほか、対馬の寺院や神社には朝鮮半島から持ち込まれた仏像が多数あるそうですが、大半が欠損しているそうですね。

田中 観音寺の仏像にも傷があります。ではそうした仏像が日本になぜ流れてきたかというと、まさに日本にもたらされた縁があったからでしょう。日本は昔からあった民俗信仰と伝来仏教を融合して、日本人の宗教観を形づくりました。神様、仏様を共にみんなでありがたく拝んできた国です。

――神仏習合ですね。

田中 そうです。村のなかにお寺や神社が争うことなく共存してきました。だからこそ、朝鮮で必要とされなくなった仏像や経典が日本に渡り、さらに贈り物としてもたらされました。そして日本にはいまでもお寺が数多く残っています。

 他方、韓国に行けばわかりますが、街で目立つのはキリスト教の十字架ばかりです。同じようなことが磁器や陶器にもいえます。日本には朝鮮伝来の茶碗がたくさん残っています。しかし韓国では今日、ステンレスの茶碗や箸が主流で、焼き物の食器はあまり見られません。

――たしかに現在では博物館に収められているような朝鮮伝来の磁器や陶器を、もとは韓国でつくったものだから返せという主張が国際的に通用するはずもありません。ちなみに、仏像は倭寇が盗んでいったものという浮石寺の主張についてはいかがですか?

田中 そうした根拠のまるでない妄想について、同じ土俵に乗って戦うつもりはありません。そんな資料があるわけではないですし、ばかばかしいの一言です。あえていえば、倭寇が渡海の危険を冒して盗んでいくような価値のあるものだったら、こんな島のお寺に置いていきますか。きっと江戸や大坂の豪商に売りに行くでしょう。そしていまごろは、それこそ博物館のなかで展示されているかもしれない。つまり、当時この仏像は、倭寇が盗んでいくほどの価値がなかったということです。おそらく朝鮮からもらってきたか、何かと交換してきたのでしょう。しかし、対馬の集落の者にとっては何百年も守ってきた大切な仏様。だから早く返しなさい、といっているんです。

――対馬は、李氏朝鮮との交易の最前線だったという歴史もあります。

田中 もともと観音寺は、朝鮮との交易のために宗氏によって建てられた西山寺(対馬市厳原町)の末寺です。交易の最前線に立っていたのですから、朝鮮の文物が村内で流通していたのは当たり前のことです。仏像もごく自然に伝わってきたのだと思います。にもかかわらず、「倭寇が盗んだ」の一本槍ですからね。

 結局、韓国の人は、自国が外国とどのような交流をしてきたのか、歴史をきちんと学んでこなかったのではないでしょうか。とくに日本については「敵」としか教えてこなかったのは残念です。これは両国の友好にとって、ほんとうに不幸なことだと思います。