しかし、社会党の国会議員たちも当選はしたい。そこで考え付いたのが「護憲」である。
 衆参両院のどちらでも良いから34%の議席があれば、憲法改正発議は阻止できる。つまり、拒否権集団として生きる道を選んだのだ。

 34%の議席があれば51%はいらない。政権意欲の全くない、政党としての最低条件すら有していない恥ずべき集団の、最大受益者が自民党である。自民党は何が何でも衆議院に51%の議席が欲しい。そうした自民党にとって、絶対に自分を脅かさない社会党ほど好都合な存在はいない。社会党が野党第一党でいてくれこと、他の野党が伸びない。

 ここに自社の野合が成立した。品の良い人は「55年体制」、口の悪い人は「風呂屋の釜の関係」と評した。前者は二派に分裂していた社会党の再結集と、保守合同による自民党結成がいずれも1955年に行われたことに由来する。後者は、男湯と女湯に別れていても、目に見えない釜は一つにつながっていて、同じお湯を使っている関係だとの意味だ。
 現に国会で激しく乱闘を繰り広げた両党の議員が、銭湯で背中を流し合うなど、日常的な光景だった。

 こうして、政権亡者の自民党と、護憲を飯のタネにする社会党の癒着が続いた。
社会党の姿を今の民進党に見る向きも多いだろう。それもそのはず、民進党は社会党の末裔なのだから。民主党時代はまだ政権獲得の意欲だけはあったが、民進党に衣替えしたら社会党に先祖がえりである。

 55年体制時代は、「まさか社会党に政権を渡すわけにはいかない」が自民党の合言葉だった。そして自民党のあらゆる腐敗が「社会党よりマシだから」で正当化された。
 こうした中で、憲法改正を本気で言う自民党の首相が出てくるはずがない。
 最も緊張感を欠いたのが、中曽根康弘だった。国会で「佐藤内閣のような長期政権位なれば憲法改正をしますか」と問われ、「そんな長期政権になりません」と緊張感のカケラも無い答弁をした。その通り、佐藤栄作政権ほどの長期政権にはならなかったが、憲法改正には指一本触れなかった。「戦後政治の総決算」などと掛け声だけは勇ましかったが。
中曽根康弘首相(右)とロナルド・レーガン大統領=1983年1月、ホワイトハウス(共同)
中曽根康弘首相(右)とロナルド・レーガン大統領=1983年1月、ホワイトハウス(共同)
 そもそも自由民主党は、自由党と日本民主党の保守合同によって成立した。自民党は自主憲法制定を党是としており、保守合同はその手段にすぎなかったことは知られている。
 しかし、自主憲法制定すら手段にすぎなかったことは、どれだけの人が覚えているだろうか。そもそも、何のための自主憲法制定か。自主防衛のためである。